中学時代、国語の先生はお坊さんだった。漢詩の教材を「これはつまらん」と言って、別の漢詩を達筆で黒板に。一行毎に朗々と音読。懇切に意味を説明し、また読んで一言‥「‥ええなぁ!」この陰影豊かな音読と「‥ええなぁ!」の声音はいまでも耳に残っている。あの先生が私を古典好きにしてくれた。
— 壤 晴彦 (@HaruhikoJo) 2016年10月28日 - 15:12
今日の話し言葉の原型は江戸末期から明治初頭の芝居と寄席で完成された。今日文豪とされる明治の文人達の文体にも、人によって異なるが、義太夫節・落語・講談等の影響が色濃く現れている。それらの流れを汲む大衆小説(この呼称自体に異議あり)にも多々名作がある。教養主義だけが教育じゃない。
— 壤 晴彦 (@HaruhikoJo) 2016年10月28日 - 14:58
国語の教科書がつまらない。もっと生徒がドキドキ出来る作品で編むべきだろう。教養主義を振りかざして子供達を辟易させ、母国語をわざわざ嫌いにさせることはあるまい。真の意味も分からぬ「名作」を彼らは「見た」に過ぎぬ。そして後にその題名に接し顔を顰め「読んだ」と言う。読書人にはならない。
— 壤 晴彦 (@HaruhikoJo) 2016年10月28日 - 14:58
私なら教科書には立川文庫の少年講談や「金色夜叉」熱海海岸、「婦系図」湯島天神、「国定忠治」赤城山、長谷川伸「瞼の母」、古典では「忠臣蔵」松の廊下、「白波五人男」の名乗り「三人吉三」の大川端なんかを使うな。何より言葉が美しいし、人間が息づいている。大衆文化をもっと大切にしようよ。
— 壤 晴彦 (@HaruhikoJo) 2016年10月28日 - 14:58
【開催中「くろい音楽室」展 ローカルレコードfeat.レコ袋】展示の会期もいよいよあとわずか!30日(日)の17時までです。週末は、家族そろって、友達同士で、恋人と一緒に、お越しください。もちろんおひとり様も大歓迎、音楽を通じて新… twitter.com/i/web/status/7…
— 考えるテーブル (@table_smt) 2016年10月28日 - 18:04
え、紅葉か。美しい。 twitter.com/KesennumaKnit/…
— 千田基嗣 (@motochida) 2016年10月28日 - 18:50
寺山修司とか、シンデレラとかの魔法みたいなこと goo.gl/Ouha9G
— 千田基嗣 (@motochida) 2016年10月28日 - 23:27
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