
(2010.10.16 訪問)
●大仏殿(金堂)。
光明皇后御遠忌法要終了後、大仏殿を久し振りゆっくりと探索。廬舎那仏以外の
仏像に今まであまり注視しなかったので脇侍や二天像の大きさを再認識した次第。
廬舎那仏。
横から見ました。光背の厚さどれくらいあると思います?

如意輪観音菩薩坐像。(重文)
廬舎那仏左脇侍(向って右)木造漆箔 江戸中期1738年完成。仏師は京仏師山本
順慶一門と大坂仏師椿井賢慶一門の共同造像と云われているそうです。

虚空蔵菩薩坐像。(重文)
廬舎那仏右脇侍(向って左)木造漆箔 江戸中期1752年完成。仏師は如意輪観音
菩薩坐像と同じ仏師グループと云います。

広目天。
四天王のお一人で西方守護神。木造彩色。江戸後期1799年完成。
像姿は右手に筆、左手に巻き物を持つ標準的な彫像。戒壇堂の広目天の静のイメ
ージはありませんが、彫りの高低差が大きく、薄暗いお堂の中で窓から射す僅か
なライトとシャドウのバランスが見事で迫力満点のお像だと思います。

多聞天。
北方守護神。木造彩色。江戸後期1800年完成。
大柄にも関わらず、広目天と同じく精巧な彫像技術が窺えます。帝釈天の眷属と
して阿修羅との激戦にはさぞ華々しい戦果をあげた豪快な戦士像を想像します。

四天王のうち、増長天、持国天は未完成。首の部分だけが残されているらしいの
ですが、お堂内におられたのかどうか?
●戒壇院 戒壇堂。
唐から渡来した鑑真さんが正式な授戒の場として戒壇院を建立。広大な境内には
講堂・僧坊・回廊など壮大な堂宇群が江戸時代までに3度火災で焼失、平家の南
都焼討や数度の兵火で今の姿になったと云います。超著名な四天王像はこのお堂
に祀られています。

●戒壇院 千手堂。
戒壇堂の西に千手堂は在ります。東大寺最西端に位置しているので或いはご存じ
ない方も多いのでは。このお堂も数度の被災で平成十四年六月復興再建されまし
た。初めて入堂しました。
本尊 十一面千手観音立像。像高74.2cm 木造。鎌倉後期。
このお像は、身近なところで海竜王寺の十一面観音立像を彷彿とさせます。いい
お顔で全身漆箔の剥落など殆ど感じられません。須弥壇中央黒漆お厨子に四天王
を従えて祀られています。須弥壇前の座からしばらく離れることが出来ませんで
した。
千手堂特別公開 10月15日(金)~10月31日(日)午前10時~午後4時

千手堂パンフレットです。写真中央が本尊十一面千手観音立像。

●指図堂。
指図堂は大仏殿の西隣に在ります。この地は平安期に創建された元中門堂の跡地
で、江戸中期大仏殿復興再建事業の時、この辺りに復興事務所として多くの勧進
堂宇が立ち並らんだと云います。大仏殿再建計画図面を掲示し指図するお堂とし
て建てられたそうで、この時に活躍したのが全国勧進や時の幕府との苦難な交渉
事をまとめた公慶上人なのです。上人は完成を見ずして亡くなりますが立派に再
興された大仏殿を彼岸からどんな思いで眺めていたのでしょう。
現在のお堂は、大仏殿復興再建時のものではありません。鎌倉復興の立て役者、
俊乗房重源さんと法然上人との関係でこの地が法然さん縁の地と云うことで江戸
後期、浄土宗徒が喜捨したものだそうで堂名だけが残っています。
本尊 法然上人絵図。

●指図堂偏額。
圓光大師霊場第十一番大勧進所と書かれています。
圓光大師が法然さんとは知りませんでした。お恥ずかしい。

指図堂パンフレットです。写真は法然上人像。

●俊乗堂。
江戸中期公慶さんが重源さんの遺徳を讃え建立。
堂内中央に「重源上人坐像」(国宝)が安置。7月5日 俊乗忌 12月16日良弁
忌に特別開扉されます。

●奈良太郎。(国宝)
日本三名鐘の一。 重量26.3トン。奈良時代
鐘楼は栄西禅師が鎌倉初期に再建。(国宝)

●二月堂(国宝)
ご存じお水取りのメイン堂宇。
本尊 二体の十一面観音菩薩像。誰が何と言おうと拝観出来ません。誰もが拝し
たことはないという幻のご本尊。

●三月堂(法華堂)(国宝)
正堂須弥壇と尊像は修復のためは入堂出来ません。拝観は礼堂からになり、デパ
ートショウウインドウのような感じで数尊のみ拝観です。日光月光両菩薩には会
えました。
本尊 不空羂索観音立像(国宝)

●四月堂(三昧堂)
本尊 千手観音坐像

●開山堂(良弁堂)(国宝)
12月16日良弁忌に特別開扉されます。
本尊 良弁僧正坐像(国宝)

大仏殿を除いて他のお堂は参拝の方も少なく、お寺の方にいろいろ説明をしてい
ただき結構な東大寺の一日でした。