土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

飯貝御坊、本善寺を訪ねました。

2012年05月14日 | 奈良の古寺巡り


(2012.05.12訪問)
桜も終わった吉野はさぞや静かだろうと、麓の本善寺と吉野神宮を訪ねました。吉野川は時代を超えても滔
々と流れ、その姿はかわらず栄枯の歴史を見つめて来たのでしょう。国道169号桜橋を渡ると本善寺の山門
はスグ。金峯山寺勢力下のここ吉野の地に真宗布教の拠点を築いた蓮如という人は、余程根性の座った性格
だったのでしょう。飯貝御坊本善寺を中心に周辺布教に力を注いだのは、近隣郷の上市、下市に本願寺系の
お寺が、めっぽう多いのはそれを物語っているのでは。

▼滔々と流れる吉野川。櫻橋から西に向かって撮ってます。この橋を渡るとスグ本善寺山門です。



[ 本善寺 ]
●山号 六雄山(ろくゆうさん)
●寺号 本善寺(ほんぜんじ)
●宗派 浄土真宗本願寺派
●開創 文明8年(1476年)
●開山 蓮如上人(れんにょ)
●開基 実孝上人(じつこう、蓮如十二男)
●本尊 阿弥陀如来。

本善寺縁起
吉崎御坊を離れた本願寺第八世蓮如上人が、文明8年(1476年)に吉野地方への真宗布教の拠点として吉野山
の麓、飯貝の地に創建したのが本善寺の始まり。
往時、吉野一帯は金峯山寺の支配下にあったためたびたび衝突を繰り返し、天文3年(1534年)には山上の36
坊を攻め滅ぼす勢いを見せています。戦国時代に入り天正6年(1578年)筒井順慶軍により堂宇の大半が破壊、
寛文年間に堂宇が復興され、別格本山として吉野門徒の信仰の中心となっています。

▼山門。一間薬医門、総欅造、本瓦葺。江戸寛文期の再建。


 
▼山門から境内。



▼鐘楼。



▼本堂。
桁行7間、梁裄7間、入母屋造、向拝一間付、本瓦葺。江戸寛文期の再建。
広縁付きで後堂を設けています。
存在感のある本堂です。




▼山号六雄山が黄金に輝く本堂扁額。



▼本堂。



▼本堂越しに廻廊が見えます。蓮如堂に繋がっています。



▼蓮如堂の拝堂。桁行3間、梁裄2間、入母屋造、1間向拝付、本瓦葺、四方に縁。建立宝暦4年(1754年)。

蓮如堂と拝堂の間には、繋廊が掛けられ、蓮如堂と拝堂が一体的になり霊廟建築様式を伝える貴重な遺構だ
そうです。


  

▼蓮如堂。桁行1間、梁裄1間、宝形造、銅板葺。建立延享4年(1747年)。
開山蓮如上人御影像を祀る小さな仏堂。軒廻りの組物は超豪華、用材に欅を使用しています。



▼蓮如堂扉。豪華な彫り物が目をひきます。



         ▼蓮如上人像。



▼境内。



▼経堂。中央に輪蔵を据え付け、浄土経典600巻が納められています。建立寛政4年(1792年)。



▼太鼓楼。桁行4間、梁裄4間、三層入母屋造、本瓦葺。建立寛政2年(1790年)。

早い話が見張り台、飯貝や上市の町を見渡せるようになっているようです。




▼手水舎。



▼懐の桜。二代実孝さんが父蓮如さんを偲び植えたと伝わるそうで、今は三代目だそうです。



▼境内から吉野川と対岸上市の町。



▼シャガの群生してました。



▼大書院玄関と庫裏。



▼大書院玄関のしつらえ。



         ▼相当太い幹ですが枝が一切見えない不思議なズングリ銀杏。



▼閉められたままの大書院のお成り御門。



境内裏山の墓地を登ってゆくと、蓮如さんの廟がありますが写真はありません。

本堂入堂階段に大小の履物がきれいに並べられ、中からいろんな声が聞こえてました。ご婦人が出てこられ、
入れてもらえるか聞いたのですが、今日は地区の集まりでごった返しているので無理ですとヤンワリ断られ
ました。読経の声は聞こえませんでしたので法会ではないようです。

山門前の道は、山と川とに挟まれた細い道ですが、何となく門前町の連なりのように見え盛時の息吹が覆い
流れているように感じました。この道を西に行くと、後醍醐天皇を祀る吉野神宮です。ではでは…。



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