土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

三十三間堂は、十一面千手千眼観世音菩薩1001体の大デレゲーション。

2012年06月25日 | 京都の古寺巡り


(2012.06.23訪問)

大河清盛は苦戦しているようですが、清盛が建てたここ三十三間堂は大人気でしたヨ。
通称三十三間堂、本名蓮華王院本堂。東大路通に在る、妙法院門跡の管領下に在る境外仏堂。お堂は世界一
長い木造建造物。創建は後白河上皇が平清盛に命じて自身の宮殿法住寺殿内に建立したお堂と云われている
ようです。
なんと云っても堂内を荘厳する、千体以上の仏像にはどなたでもマイッタというほどの大迫力!
約五百体に仏師名が残され慶派をはじめ院派、円派の集団が造仏に関わったそうで、国家規模での造仏だっ
たようです。
今回最前列一段目百体の観音像をを北から一体づつジックリお顔を拝見しました。特にお顔の少しずつの違
いがよく判りますよ。千体の観音像には必ず会いたい人に似たお像があると伝わるのも頷けますが上段に行
くほど判然としませんのでぜひ双眼鏡を持っていくことをお勧めします。

▼三十三間堂正面七間の向拝。



[ 三十三間堂 ]
●寺号 蓮華王院三十三間堂(れんげおういん さんじゅうさんげんどう)
●宗派 天台宗
●開基 後白河上皇
●開創 長寛3年(1165年)
●本尊 十一面千手千眼観世音菩薩坐像

三十三間堂縁起 (三十三間堂 HPから抄出)
久寿2年(1155年)、第77代天皇として即位した後白河天皇は、わずか三年で二条天皇に位を譲って以後、上
皇として院政を行いました。三十三間堂は、その御所に造営されましたが、八十年後に焼失し、まもなく後
嵯峨上皇によって再建されました。その後も手厚く護持され、室町期、足利第六代将軍義教により本格的な
修復が行なわれます。彼は仏門に入って、比叡山天台座主を勤め、京洛の禅寺に修理の寄付勧進を命じて、
屋根瓦の葺き替えをはじめ、中尊、千体仏と5ヵ年を費やして内外両面の整備を行ったのでした。

▼國寳三十三間堂木標札。




▼三十三間堂(国宝)。正式には蓮華王院本堂。
桁行三十三間、梁行五間、入母屋造、本瓦葺、総檜造り。
長寛2年(1164年)建立。約八十年後焼失、文永3年(1266年)再建。



●本尊 十一面千手千眼観世音菩薩坐像(国宝)。
お堂中央に安置されるのが丈六の坐像、像高335cm、檜寄木造、漆箔。
42手で千手を表わす通例の像形で、鎌倉期の再建時に、大仏師湛慶(運慶の長男)が慶派の弟子を率いて完成
させたもの。お顔や像形をジックリ拝見すると、湛慶の祖父康慶の作興福寺南円堂の中尊不空羂索観音坐像
の表現に非常に良く似ています。慶派のマニュアル造仏儀軌は相当しっかりした内容だったことが彷彿とし
ます。中尊四方には四天王が祀られています。

●千体の十一面千手千眼観世音菩薩立像(重文)。
本尊左右に五百体づつ、計千体の十一面千手千眼観世音菩薩立像の並ぶ様は圧巻!
124体は平安期の原像、他は火災後十六年かけて再興された像だそうです。

●二十八部衆(国宝)。
全像像高160cm前後、檜寄せ木造、玉眼。鎌倉時代。
千体の十一面観世音菩薩立像の最前列に整然と並ぶ像は、古代インドヒンズー教に起源を持つ大半が戦闘神。
仏に帰依後は仏教の護法神となる神々で、28体それぞれが熾烈な過去の個性を発揮している動的な像に見受
けられます。

数年前から描いているペン画二十八部衆の一部です。

▼迦楼羅王。金翅鳥の化身、半人半鳥で八部衆の一人。




▼乾闥婆王。上半身裸形の音楽神、天上の神酒のガード。




▼婆藪仙人。殺生の罪で地獄に堕ちたインド某国の国王。釈迦に救われ護法の神となる。




▼満善車王。右手に小槌、左に蛇を持つ夜叉の王。



▼北面の三十三間堂。




▼西面の三十三間堂。毎年一月にこのお堂西庭で行われる競技通し矢は、新成人の晴れ着姿が風物詩になっ
ていますね。
通し矢は南から北を狙います。






▼南面の三十三間堂。




▼境内東の池泉にチョットだけ額紫陽花が咲いてました。




▼手水舎。左のお地蔵さんは、夜泣き地蔵と呼ばれているそうです。お地蔵さんの赤前掛けを持って帰り、
赤ちゃんの枕に敷けば、夜泣きが治るそうです。疑問?黙って持ち帰っていいのでしょうか。




▼鐘楼。




▼東大門。




▼東大門から本堂正面。




▼東大門から両側東面北から南に回廊が再建されています。




▼太閤塀(重文)。豊臣秀吉が寄進した築地塀。塀高5.3m、長さ92m。旧来西側にも存在したらしいですが、
現在は南塀のみが残っています。




▼太閤塀の丸瓦。太閤桐の文様が用いられていることから太閤塀と通称されているそうです。




▼西門。この門はお正月しか開けないそうです。



今は狭い境内で三十三間堂一宇しか残りませんが、平安から安土桃山にかけての皇から庶民に至る観音信仰
の深さを、お堂と仏像で表現した我が国唯一の千体仏堂蓮華王院三十三間堂、見応え充分の迫力です。

それでは元締めの、じゃなかった本山の妙法院門跡を訪ねましょう。スグ近くです。




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