土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

金剛院、花の寺第三番札所も今、花はありませんが、三重塔は見応えありますヨ。

2016年05月23日 | 京都の古寺巡り




(2016.05.21訪問)
初夏の京都縦貫道は部分的に新しいので気持ちよく走れます。迷車大和路号は風を切って走ると云ってもスピードは出ません。どち
らかと云うとトロトロ走行で、その上ナビがアホ、京都縦貫道が貫通しているのを知らないんです。わざわざ近畿道、中国道を走り
吉川JCTから舞鶴若狭道を指示します。もちろん京都縦貫道も綾部JCTで舞鶴若狭道に入るのですが、約40kmの差は総てでロス、
今日は第二京阪から京都縦貫を走ったのは云うまでもありません。
お願い日産さん、早いとこナビデータ更新してヨ。今それどころじゃないか日産さん!

アッそうそう、何処を訪ねたのか書くのを忘れてました。迷車大和路号は、舞鶴の金剛院を目指しています。



            ▼三重塔。






            [ 金剛院 ]
            ●山号 鹿原山(かはらさん)
            ●院号 金剛院(こんごういん)
            ●寺号 慈恩寺(じおんじ)
            ●宗派 真言宗東寺派(しんごんしゅうとうじは)
            ●開基 高岳親王(たかおかしんのう)
            ●開創 天長六年(829年)
            ●復興 白河天皇(しらかわてんのう)
            ●本尊 波切不動明王
            ▲時間 9:00~16:00
            ▲拝観 300円 宝物殿拝観 500円 朱印300円   
            ▲京都府舞鶴市鹿原595 電話0773-62-1180
            ▲関西花の寺第三番霊場
            ▲JR小浜線「松尾寺駅」から徒歩20分。
 
             JR小浜線「東舞鶴駅」からバス15分「鹿原」下車徒歩10分
 
             舞鶴若狭道「舞鶴東IC」から北東へ約5km




▼山門。






金剛院縁起 (金剛院パンフから抄出)
天長六年平城天皇第三皇子高岳親王により創建されました。親王は嵯峨天皇の皇太子となりましたが、政変に連座して皇太子位を廃
され無常観から空海の弟子となり、十大弟子の一人として真如と称し仏法興隆に尽くしました。さらに唐から天竺への求法の旅の途
中消息不明となりました。その後、当山本尊の波切不動明王は、白河天皇病気平癒祈願で若狭から勧請、功大いにあり天皇は当時荒
廃していた当山を復興、三重塔を建立し真如親王を追善供養、勅願寺として慈恩寺の寺号を下賜されました。
鳥羽天皇皇后美福門院は阿弥陀堂建立を初め堂塔を整備、当山は全盛期を迎えます。その後、江戸期には田辺城主の外護を得て山腹
の楓は細川幽斎の植樹で、秋の全山紅葉は誠に見事、また境内の鶴亀の庭も幽斎の作庭と伝えられています。




▼緑が覆いかぶさっている門前の鹿原川、水は少ないですが清らかな流れ。







▼やはりここは花の寺、両脇の木札も花の寺。







▼山門一歩入ると広~い境内が……。左は宝物殿。







            ▼左には田辺城主細川幽斎 (細川忠興の父) 作庭と伝わる池泉回遊式庭園、
             鶴亀の庭が広がっています。
             熊本市の水前寺成趣園の雛型と伝わるそうです。







▼お庭中心に礼拝石が……、







▼奥の小山の須弥山への礼拝石かと思われます。







▼鶴亀の亀は判るんですが……、







▼亀石ですよネ。鶴石は結局判りませんでした。







            ▼庫裡の横を通り伽藍エリアへ行く途中にデッカイ榧の木、樹高約22m、幹周5.3m。
             高岳親王御手植えと伝わる巨木で千年榧と呼ばれているそうです。







▼こんな緑のトンネルを少し進むと……、







▼手水舎。これがまたユニーク、右柱二本が何か意図があるのか左に傾けてあります。







▼三重塔(重文)です。白河天皇が眞如の追善供養のために建立したと伝わるそうです。
 塔高24.6m、杮葺。現塔は室町時代後期の再建。高岳親王坐像を安置。   

























▼本堂への参道石段。







▼唐破風の向拝と本屋根が比翼風、飛び立ちそうです。







▼本堂。桁裄五間、梁間四間、寄棟造、銅板葺、一間唐破風向拝付。梁間一間は吹き通しで床は高いです。
 本尊波切不動明王(秘仏)。空海さん入唐航海の故事から、火難水難除け、病気平癒祈願として信仰されているようです。







▼唐破風向拝天井の見事な彫刻。二段貫の上部に上は天女、下は龍の彫り物、貫にも文様が彫られ、これだけでも観賞価値あり。







▼向拝の虹梁。直線の柱と垂木に対してこの曲線の美!  













▼相当自信があるのでしょう、彫り師自らサインを残しています。「彫物師 丹波柏原住 中井権次橘正貞」
 丹波市柏原町の宮大工、中井道源を初代として、四代目の言次君音以後、九代目の貞胤まで神社仏閣の彫刻師として活躍した中井
 家の一統 六代目権次正貞より権次を名乗ったところから権次一統と称し、現存する作品は、北近畿一円に及んでいるそうです。

 





▼本堂。







▼本堂と雲山閣を結ぶ渡り廊下。







▼雲山閣は懸け造り。何のお堂か不明。







            ▼本堂から三重の塔を見ると……。







▼少々腰高の立派な鐘楼。入母屋造、桟瓦葺、袴腰。













▼弁天さんをお祀りのお堂。







▼裏山の滝道を200m程行くと……、







            ▼弘法の滝。山の水の雫と云ったら失礼かな、一応滝です。







▼御朱印は本堂吹き通しで撮りました。






山門から庫裡のエリアと伽藍エリアは少々離れています。白河天皇再興時には相当広い寺域を誇っていたのでは。現在は塔と本堂、
鐘楼を残すだけですが、それぞれの規模が大きく、全盛期の寺勢が偲ばれます。
舞鶴市街から丹後街道(R27)を東に少々、右に折れ県道を走ること10分ばかりの所に金剛院はあります。すぐそこが市街と云うのに
雰囲気はまるで山寺の感、境内は見る限り楓楓の林、錦繍秋の紅葉の頃はさぞやの感がする金剛院でした。

金剛院 オ シ マ イ

それでは次に訪ねるのは、あの日本三大文殊さんのお寺です。





  ↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ