(2016.08.14訪問)
南山城の古寺第二弾は、木津川を挟んで南へ少々、今日訪ねる岩船寺は石仏で著名な当尾里山中に法灯を灯しています。
先の海住山寺五重塔同様、岩船寺も三重塔で著名なお寺です。建立後五百五十年の平成十五年に解体修理を終えた三重塔は朱色鮮や
かに緑鬱蒼の山中に蘇っています。
▼三重塔(重文)。鬱蒼の緑に隠れる朱。
[ 岩船寺 ]
●山号 高雄山(こうゆうざん)
●寺号 岩船寺(がんせんじ)
●宗派 真言律宗(しんごんりっしゅう)
●勅願 伝 聖武天皇(しょうむてんのう)
●開基 伝 行基(ぎょうき)
●開創 伝 天平元年(729年)
●本尊 阿弥陀如来坐像(重文)
▲拝観 400円 朱印300円
▲時間 8:30~17:00
▲京都府木津川市加茂町岩船上ノ門43番地 電話0774-76-3390
▲関西花の寺第十五番札所 35品種、5000株が乱舞。その幽玄な景色はまさに花曼荼羅。
▲JR関西本線(大和路線)「加茂駅」からコミュニティバス「加茂山の家行き」で「岩船寺」下車すぐ
JR関西本線(大和路線)「奈良駅」「近鉄奈良駅」から奈良交通バス「下狭川・広岡行き」で「岩船寺口」下車。徒歩約30分。
京奈和道「木津IC」から加茂方面へ約5㎞。 西名阪道「天理IC」から北へ約20㎞。
▼石段の先山門が見えます。
岩船寺縁起 (岩船寺HPから抄出)
天平元年、聖武天皇が行基に命じて阿弥陀堂を建立したのに始まると伝えられています。平安時代には弘法大師の甥の智泉が報恩院
を建立。嵯峨天皇が智泉に皇子誕生祈願をさせた所、皇子誕生、その効験により堂塔伽藍が整備され、寺号も岩船寺となりました。
▼質素な山門ですネ。
▼山門の先、百日紅を通して三重塔の朱が目に入ります。
▼山門潜りスグ右手に本堂。桁裄五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。昭和六十三年(1988年)再建。
▼本尊阿弥陀如来坐像(重文)。小さなお堂の小さな須弥壇にドッシリとした大きな体躯は安定感抜群。柔和なお顔と半眼は何を瞑想
しているのだろう。やや大きめの螺髪はまだ若かりし阿弥陀さんの精悍な気力を表しているみたい。
像高約284cm、欅一木造、天慶九年(946年)造像。本尊周囲に四天王立像四像は正応六年(1293年)造像。
(写真は小川光三さん写真集「南山城の古寺」から複写)
▼本堂。
▼百日紅が頑張ってます。後ろは本堂の屋根。花のお寺も今は百日紅最後の頑張り、花色はこれと桔梗数株のみ。
▼本堂前に咲く桔梗数株。
▼阿字池。水草で埋まってますが花はありません。
▼十三重石塔(重文)。塔身に金剛界四仏の梵字が刻されています。正和三年(1314年)建立。
▼三重塔(重文)。境内奥のやや高台に東向きに建っています。惜しいかな鬱蒼の樹叢に全景が見えません。
▼少し寄ってみます。
▼朱色が鮮やかです。
▼正面下からのショットです。初層中央間板唐戸、脇間連子窓。
三間四方、本瓦葺。嘉吉二年(1442年)建立。平成十五年(2003年)解体修理。
▼初層西扉オープン時。正面来迎壁に五大明王図。板戸内面右伊舎那天、左帝釈天。
(以下3点初層開扉の写真は2012年11月3日岩船寺初層公開訪問時の撮影です)
▼不動明王をアップで。
▼初層東扉オープン時。来迎壁に十六羅漢図。板戸内面右羅刹天、左水天。
▼イヨッ頑張ってるナ。四隅の垂木を支える天邪鬼。
▼初層、二層と高欄のない濡縁。
▼この方向しか撮れないのは辛いですね。
▼三重塔相輪。
▼鐘楼。
▼百日紅。
▼地蔵堂。
▼本尊地蔵菩薩坐像。二重円光に半浮き彫りのお地蔵さん。
右手にしっかり錫杖を持ってます。鎌倉時代。
▼百日紅。
▼五輪塔(重文)。東大寺別当平智僧都の墓と伝わるそうです。
▼船形蹲踞がひっそりと置かれています。
▼石室の中に祀られる不動明王石像。
▼開山堂。本尊はやはり開山行基さんかな。中を覗くの忘れました。
▼菩薩石像。全身像(たぶん)の胸部から上をこんな形で祀る異様さ。
別な想像をしてしまいそう。
▼板石仏。
▼歓喜天堂。
▼白山神社(重文)。本殿裏山に建つ岩船寺鎮守社、天平勝宝元年(749年)建立。
▼白山神社本殿。
▼手前白山神社本殿(重文)、奥春日社本殿。
▼参道手前に石風呂と伝える石の箱。確かに底に排水溝が開けられていました。
▼ご朱印です。重文五輪塔に置いて撮りました。
ここ岩船寺は南山城当尾の里の樹叢深閑とした山中に、今はひっそり佇んでいます。盛時には大伽藍を擁し、広大な寺域を誇ったと
云うが、これはこのお寺に限らず古寺古刹の典型的な表現、このような山中で史実として本当の所はどうなんだろう。
と何時も疑問に思うことです。
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