![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/2c/65b2fa3699e2d94511ed15f697aac297.jpg)
(2017.01.07訪問)
毘沙門堂から南に稀代のベッピンを求めて迷車大和路号は走ります。
小野小町の出自やエピソードは数説あるようですが、小野篁の孫で稀代の書家小野道風のいとこ、仁明朝の舞姫で更衣、和歌は凄腕、
さらに男を狂わせる艶美で優美、そして絶世の美女、キット自分をベッピンと思っている小野小町、こんな小町由緒のお寺随心院は、
小町一族が繁栄したここ旧小野郷に伽藍を構えています。このお寺には小町の証は残ってないようですが、ただ一つ卒塔婆小町坐像、
この像を見るとウタカタの美、なんと儚いベッピンの末路を思い知らされますヨ。
ベッピンの方も、そうでない方も、一度随心院を訪ねてみてはいかが。
▼絶世の美女、バックシャンとは呼ばないで! (写真は随心院HPからお借りしました)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/90/8a551b4e0ef10cc259b35a11c40ff9eb.jpg)
[ 随心院門跡 ]
●山号 牛皮山 (ぎゅうひざん)
●寺号 随心院門跡 (ずいしんいんもんぜき)
●宗派 真言宗善通寺派 (しんごんしゅうぜんつうじは) 大本山
●開祖 仁海僧正 (にんかいそうじょう)
●開創 正暦二年 (991年)
●本尊 如意輪観世音菩薩坐像
▲京都市山科区小野御霊町35 TEL.075-571-0025
▲拝観料 500円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:30
▲http://www.zuishinin.or.jp
▲地下鉄東西線「小野駅」下車 徒歩約5分
京阪バス「小野」下車 徒歩約1分
名神高速「京都東IC」から約10分
▼醍醐道に面して建つ総門。
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随心院門跡縁起 (随心院門跡HPから抄出)
当山は、真言宗善通寺派の大本山であり、弘法大師から八世弟子、仁海僧正が一条天皇から正暦二年この地を賜り、牛皮山曼荼羅寺
を建立。夢に母が牛に生まれ変わっているのを見て、鳥羽のあたりに尋ね求めて飼養しましたが、日なくして死、悲しんでその牛の
皮に両界曼荼羅の尊像を画き本尊にしたことに因んでいます。仁海僧正は勅命で、神泉苑で請雨法を九回行いその度霊験り雨が降っ
たので、雨僧正とも称されました。その後第五世、増俊阿闍梨が曼荼羅寺の子房として、隨心院を建立、ついで第七世、親厳大僧正
が、寛喜元年 (1229年) 後堀河天皇から、門跡宣旨を賜り、以来隨心院門跡と称されています。
▼参道を真っ直ぐ行くと……、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/df/5fc54e5f35371d8e79c6c063ce16cd71.jpg)
▼右手に拝観入口の門があります。早速潜って行きましょう。
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▼やや右手に唐破風が付いた立派な庫裡あります。こちらが拝観受付です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/e4/38ec9b18cbafee2f2a5427f57c1d4999.jpg)
▼庫裡前庭に小野小町の歌碑、磨かれた碑に小町の歌と小町姿がカラーで。
花の色は 移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
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▼小町が描かれた大きな衝立があるんですが、いくら見ても手法が分りません、しかしかなり達者な筆です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/d3/aca9dd75a3e6eb1f7e7ba50d84eb3703.jpg)
▼随心院三十四世門跡、玉島実雅僧正の揮毫「隋心」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/4a/2db83e0f2c59c87c0cf8ba3623f2203e.jpg)
▼表書院への畳廊下。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/58/64900a99f2a6d6b1d5cb7af3a01eba95.jpg)
▼表書院広間。
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▼広間左奥に仏間があり、文張り地蔵菩薩といって、小町に寄せられたラブレターを下張りにして作られたお地蔵さんと卒塔婆小町
坐像が安置されています。卒塔婆小町像をご覧になったらビックリしますヨ。
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▼表書院前庭。前面苔庭なんですが今は冬枯れ、相当荒れています。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/8e/de134427511ecff425709f23c13d3511.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/65/067b9b4fbac6d507c1be98ef175939f0.jpg)
▼放生池。
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▼本堂へ行ってみましょう。写真手前が本堂に続く廊下です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/9e/4258aef4c1f84baf2da70f746d91abb4.jpg)
▼本堂です。建築規模が不明ですが、寝殿造りの優美な姿が想像出来ます。桟瓦葺、一間向拝付、慶長四年 (1599年) 建立。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/18/be3b0828bd03cdb62b35a70837781ddd.jpg)
▼外柱内が吹き通し外陣でしょうか、二段仕様でその外が外縁になっています。初めて見る様式です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/73/2edb20e3c80e01cd32b4877800a077fe.jpg)
▼堂内は広く奥に須弥壇が設えられ本尊を中心に左右十体の尊像が祀られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/3c/6396c92197ddf4f2d7e54de6fbbd1fc9.jpg)
▼本尊は奥のお厨子の中です。
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▼本尊如意輪観音坐像。(写真は数年前訪ねた時に撮ったものです)
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▼堂宇は総て渡り廊下で結ばれています。奥書院へ行ってみましょう。
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▼真新しい小町堂。女性専用の永代供養納骨堂です。(随心院門跡HPから抄出)
隨心院は、平安時代前期九世紀頃の女流歌人として知られる小野小町ゆかりの寺院でございます。参拝になる方々のほとんどが女
性でいらっしゃいます。これまで千年にわたり多くの女性の祈りと願いに接してまいりました。この度、多くの女性の方々とご縁
を結ばせていただいた当院では、現代女性の多様な人生設計に対応できるよう、女性専用の永代供養納骨堂を建立いたしました。
これまでの千年と同様これからも永代にわたり、貴女と貴女の大切な方を、当寺院本尊である如意輪観音様とともに見守ってまい
ります。
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▼小町堂内部の様子。これはイイ、納骨堂の傑作じゃないでしょうか。 (写真は随心院HPからお借りしました)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/87/5df51863c767ee84a768ceff85680b38.jpg)
▼奥書院です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/b0/0e6df3112d6a58c4afc639db05865869.jpg)
▼四間ある部屋の一、控えの間の賢聖襖絵。
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▼大玄関から薬医門。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/b5/b48fe13bebf137e29ad190f93d1cac0a.jpg)
▼薬医門。中に見えるのが大玄関。恐らく皇族方、勅使、門主晋山以外は開かずの門なんでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/78/29386e5f48783d330591df539f7a167d.jpg)
▼境外に開祖仁海僧正の石垣に囲まれた立派な供養塔が建ってます。
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▼小野小町化粧井戸。小町屋敷跡に残る井戸、小町が朝夕この水でお化粧をしたと伝わるそうです。
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▼ご朱印です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/2b/25c856e8dddb76a59d9f37735f8d40f9.jpg)
卒塔婆小町坐像は寺伝によれば、恵信僧都源信の作と伝わるそうで、源信と小町はほぼ同時代、ヒョットしたら源信は小町と会って
いたのかも知れませんネ。卒塔婆小町坐像は小町晩年の姿を映したものだそうですが、源信さんも美女に恨みがあるのか相当酷い表
現、見る限り小野小町の美の定義がヒックリカエルかも知れません。
これにて小野小町じゃなかった、随心院 オ シ マ イ
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