(2017.01.21訪問)
隠れ寺の雰囲気がどことなく漂うお寺が宇治にありました。宇治川左岸を東へ、天ヶ瀬ダムの少し手前にそのお寺はあります。この
お寺靖國寺、そうあの江戸九段の靖国神社と少なからずの因縁寺なんです。
戦没英霊を仏式に合祀する日本唯一の寺であると同時に、ミャンマーとの関係も深いらしくその詳細は聞き漏らしましたが、仏舎利
と本尊がミャンマーから贈られたと聞きました。その南伝仏教の本尊釈迦如来坐像に本堂で会うことが出来ました。
▼本尊釈迦如来坐像。
[ 靖國寺 ]
●山号 鳳翔山 (ほうしょうざん)
●寺号 靖國寺 (やすくにでら)
●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう) 大本山永平寺直末
●開基 中井祖門 (なかいそもん)
●開山 高階瓏仙禅師 (たかしな ろうせん) 永平寺の七十一世貫首 (曹洞宗管長)
●開創 昭和二十四年 (1949年)
●本尊 釈迦如来坐像
▲京都府宇治市宇治金井戸7-14 TEL.0774-21-3023
▲拝観料 境内自由 御朱印300円
▲拝観時間 8:00~17:00
▲京阪電車宇治線「宇治駅下車。タクシーで約10分。
名神高速道路・京滋バイパス「宇治西IC」を出て左折、宇治橋を渡り左折。県神社横を左折、平等院前
を通り、府道大津南郷宇治線天ヶ瀬ダム手前100m(靖國寺の看板有り)を右折。500mほど走り、
靖國寺の看板を見て右折。300mほどで山門へ。
▼参道入り口です。
靖國寺縁起 (靖國寺HPから抄出)
当寺は、靖国神社に対して全国の戦没英霊を仏式に合祀する日本唯一の寺です。昭和四年、建立者中井祖門師が当時の田中義一首相
と熟議し、賛同を得て発願されました。昭和十六年より全国を托鉢勧募した浄財で用材を購入、本堂建立に着手。各地の信徒の多大
なる寄進により、昭和十八年十一月には入佛式を修行、昭和二十四年四月に勤皇山靖國寺として落慶しました。創建以来、戦没者の
遺骨、無縁の英霊が全国各地より奉安置され、昭和二十六年には靖国神社より二百四十万余りの御分霊をお迎えしてお祀りしていま
す。御開山には永平寺の71世貫首(曹洞宗管長)高階瓏仙禅師を迎え、永平寺御直末寺院となりました。
▼山門。三間一戸、重層門、切妻造、本瓦葺、両脇には仁王像を安置しています。昭和六十三年五月落慶。
▼山門木札。
▼阿形仁王さん。
▼吽形仁王さん。
▼山門表扁額。大本山永平寺七十八世貫首、宮﨑奕保禅師の書。
▼山門から境内。
▼山門中扁額。昭和二十四年落慶時の山号勤皇山と書かれています。
▼不動堂 (十二支天堂)。桁裄三間、梁間五間、入母屋造、桟瓦葺。昭和三十六年建立。本尊一願成就不動明王。
▼不動堂内、中央が本尊一願成就不動明王、左右に干支の守り仏、十二支天刺繍画像が祀られています。
▼本尊一願成就不動明王。
▼開山堂。歴代住職の尊像と位牌を奉安。桁裄二間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺。
▼七重石塔。
▼総欅造の鐘楼。切妻造、本瓦葺。
▼梵鐘と吊り金具。超豪華な吊り金具に吊るされた梵鐘、こんなのは初めて見ました。
▼水子地蔵。雛壇に並ぶお地蔵さんの数、半端じゃありません。
▼手水鉢。
▼本堂。桁裄三間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付、檜造。昭和二十年 (1945年) 落慶。
▼本堂前面はガラス障子戸。
▼大本堂扁額。大本山永平寺七十六世貫首明峰慧玉禅師書。
▼本堂内陣。
▼超豪華な天蓋の天井絵、天空を舞う二人の天女が描かれています。
▼須弥壇最奥中央お厨子に本尊釈迦如来坐像が祀られています。
▼本尊釈迦如来坐像。お気付きになりましたか、天竺や震旦、百済や新羅、和様の仏像とはチョット違いますネ。
正解はミャンマーからの友好の証として贈られた釈迦如来像。像高50cmくらい、金銅仏。
目とお口に少し金の輝きが残っていますが、それ以外は真っ黒、まん丸お顔とホッソリしたお躯は少年の匂いすら感じます。
残念ながらお像の由緒等は聞き漏らし不祥です。
▼本堂。
▼本堂前に立つ仏舎利塔。ミャンマーから贈られた仏舎利が奉安。一階は永代供養堂、上に重層の六角仏舎利塔。
▼仏舎利塔扁額。
▼仏舎利塔。
▼ご朱印です。
今本堂に祀られている釈迦如来坐像、日頃見慣れている仏像とは違い、写真でしか知らない南伝の小乗仏です。通常ビルマやタイの
仏像はキンピカで大きい仏が多いですが、眼前の仏は像高50cmくらいの金銅仏、初めて見る仏の御姿に仏教伝来の道筋がメッシュ
のように力強く広がって行く初期仏教の姿を垣間みた思いがしました。
靖国寺 オ シ マ イ
せっかくですので、藤原頼通が残したあの超有名寺院へ寄ってみましょうか。
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