
(2017.01.14訪問)
先週に続いて京山科にやってまいりました。門跡寺院の続き、勧修寺です。色んな読み方をされるお寺、正式には「かじゅうじ」と
云います。今日の京はケッタイな天候、風強くいきなり雪模様、と思うと青空、すると一転俄に又また雪、寒さひとしお、しかし白
壁築地塀の参道を歩くと、門跡寺院の優雅で上品な空気がそこはかとなく漂っているのを感じます。
▼山門入り口に建つ寺号石柱もすんなりと読める方はなかなか……、

[ 勧修寺 ]
●山号 亀甲山 (きっこうざん)
●寺号 勧修寺 (かじゅうじ)
●宗派 真言宗山階派 (しんごんしゅうやましなは) 大本山
●勅願 醍醐天皇 (だいごてんのう)
●開基 承俊律師 (しょうしゅんりっし)
●開創 昌泰三年 (900年)
●本尊 千手観音菩薩
▲京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6 TEL.075-571-0048
▲拝観料 400円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲地下鉄東西線「小野駅」下車 徒歩約6分
京阪バス「小野」下車 徒歩約2分
▼参道沿いの白築地塀。左右の樹々は桜、春には桜参道になります。そしてこの先左に山門があります。

勧修寺縁起
昌泰三年、醍醐天皇が母の菩提を弔うため、母の生家を寺に改めた。天皇の祖父、藤原高藤が勧修寺内大臣と称していたことから、
勧修寺と名付け定額寺に列せられ皇室との縁が深く、宮門跡として品格高く維持。鎌倉時代に後伏見天皇の皇子寛胤法親皇が十六世
として入山以来、宮門跡寺院となる。その後応仁の乱で寺は衰退、江戸期になって皇室と徳川氏の帰依、援助で伽藍整備が進み復興
された。
▼山門。袖塀がコの字に構えられた門跡の上品さを醸しているようです。

▼山門からの境内。

▼全く読めません。

▼千鳥破風と唐破風の大玄関。

▼庭園の方へ行きましょう。

▼宸殿。桁裄五間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。元禄十年 (1697年) 旧御所明正院から移築された御対面所。
内部は一の間、二の間、三の間が一列に並ぶ寝殿造風建物です。明正殿とも呼ばれてるそうです。

▼扁額。明正殿と書かれています。

▼内部の様子です。

▼前面格子は御所の建物によくありますね。

▼庭園への通路に一風変わった灯籠?

▼全面芝の広場へ出ました。向こうに建つのは観音堂。

▼書院 (重文)。桁裄七間、入母屋造、杮葺。御所の建物を拝領したらしいのですが、建物は諸説あると云います。
門跡御座所、二の間、対面所、私室などで構成。

▼書院広間の障壁画。土佐光起の近江八景図。(ネットからもらってきました)

▼書院前庭の水戸光圀寄進と伝える勧修寺型灯籠。
灯籠を囲んでいるのは、樹齢750年、檜科のハイビャクシン、これで一本の樹らしいです。

▼書院。

▼書院と本堂を繋ぐ渡り廊下。

▼本堂へ丸飛び石。

▼本堂。桁裄六間、入母屋造、檜皮葺、一間向拝付。

▼本堂内陣。格子ガラス戸を覗いてみました。中央に本尊の姿が……、

▼本尊千手観音菩薩立像。像高160cm。室町時代。
十一面さんと思われますが頭部の様子が分かりません。目の光具合から玉眼が嵌められているようです。

▼枯れ木もココまでなるとダイナミックですね。

▼千年杉。京庭園中の最巨木らしいですが、これ枯れてません?

▼観音堂。大斐閣とも呼ばれ昭和六年再建。

▼観音堂正面。

▼本尊。色気ムンムンの観音さんですネ。

▼観音堂。

▼修行大師像。

▼池泉回遊式名勝庭園「勧修寺氷池園」を歩きましょか。
今は見る影もありませんが、初夏にはカキツバタや花菖蒲、蓮が池面を飾り、水鳥たちもやってきます。



▼遊歩道に並ぶ八十八カ所の石像。

▼蓮さん、夏に備えてパワー蓄えといてネ。

▼弁天堂もひっそりと。

▼岩座に不動明王三尊が……、脇侍は矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)。

▼お不動さんにこんな顔で睨まれました。

▼温和な観音さんもいました。

▼中之島にクロちゃん三羽、見えます?

と云う訳で名勝庭園クルッと回って勧修寺 オ シ マ イ
▼ご朱印です。

御所下賜の宸殿や書院をみると元御殿の格式を否応無しに感じます。ただ「やんごとなき」世界の生活感と云うのはあまり感じるこ
とはなく、下賜された建物も現在どのように使用されているのかも想像出来ません。もちろんお寺の中心本堂には本尊も祀られては
いますが、説明にあるお堂内部の造りや仕様をみると、お寺のお堂の感じがしない不思議なお寺です。門跡寺院の格とはこういう所
にあるのかなァと云うのが今日の感想……。
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