(2010.10.2 訪問)
圓成寺から県庁前まで戻り、東大寺南大門前を南へ、高畑から目指す新薬師寺は
すぐのところ。北から細道に進入、新薬師寺の北辺白壁塀沿い東門の前を通り南
門に向かいます。
いくら考えても門名呼称がフに落ちないこのお寺。一度、聖観師にお聞きしよう
とした矢先…。
押し掛け訪問に快く応じて下さったり、瞑想会に呼んで戴いたり、十二紳将と背
比べをさせて下さったりした前貫首、中田聖観師が七月にお亡くなりになりまし
た。心なしか萩の花も寂しげです。 合掌
[ 新薬師寺 ] しんやくしじ
山号 日輪山(にちりんさん)
寺号 新薬師寺
宗派 東大寺別院 華厳宗別格本山
本尊 薬師如来坐像 (国宝)
新薬師寺縁起
一昨年当寺から西、奈良教育大学キャンパス北東隅から奈良時代の巨大な建物跡
が検出されたことは記憶に新しいところです。この遺構から、裳階を含めた柱間
東西54メートル、南北27メートルの建物が遺構の上にそびえていたと推定、
奈良時代の新薬師寺の中心伽藍だった金堂跡と判断したと発表されました。
新薬師寺は光明皇后が聖武天皇眼病平癒祈願して、天平19年(747年)勅願によ
り、七仏薬師像を安置した七仏薬師堂を建立したとされるのが草創と伝えられ、
その七仏薬師堂が金堂と推定されています。その後、度重なる兵火や災害で寺域
や伽藍のほとんどを失い、再興されないまま現在に至っています。
●南門。
鎌倉時代再興の簡素な四脚門。(重文)
●本堂。
外観の優雅な佇まい、天平の息吹を伝える唯一の遺構です。
本尊は薬師如来坐像。(重文)
お顔の大きさに比して異常なほど大きな目と堂々のお体は、拝する人に存在感と
安心感を与えることでしょう。円形土壇の須弥壇にご本尊が南向きに坐し、周囲
に十二神将(一体を除いて国宝)が外向きに並んだ独特の内陣構成です。
●本尊薬師如来のお顔。数年前に描いたペン画です。
●本堂と萩。
●本堂前の灯籠。基礎の蓮台は天平時代、上の灯籠は室町時代の作。
●鐘楼。袴腰に漆喰塗りの珍しい作風。(重文)
●本堂と萩。
●地蔵堂。三体のお像が祀られている小さなお堂です。
●境内の萩。
●会津八一の歌碑。
碑には、
「ちかつきて あふぎみれども みほとけの みそなはすとも あらぬさひしさ」
が刻されています。
●庫裡の庭。方丈池を中心に小さなお庭ですが、左奥に見えるのが香薬師堂。
会津八一が歌に詠んだみほとけは金銅仏 「香薬師如来立像」のこと、盗難に
遭い現在行方不明。
●香薬師堂の偏額。香薬師如来と揮毫されています。
●十三重石塔。
東大寺二月堂の修二会を始めた実忠和上の塔。倒壊などで現在五重の石塔。下二
段が創建当初のもので上部は修復されたものです。
●東門。武家や貴族の宅の棟門の姿を伝えています。(重文)
●長~い白壁土塀。
三カ寺巡り、お し ま い