土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

東大寺に匹敵した寺域と大伽藍。今は閑かな萩の古刹、新薬師寺。

2010年10月06日 | 奈良の古寺巡り


(2010.10.2 訪問)
圓成寺から県庁前まで戻り、東大寺南大門前を南へ、高畑から目指す新薬師寺は
すぐのところ。北から細道に進入、新薬師寺の北辺白壁塀沿い東門の前を通り南
門に向かいます。
いくら考えても門名呼称がフに落ちないこのお寺。一度、聖観師にお聞きしよう
とした矢先…。
押し掛け訪問に快く応じて下さったり、瞑想会に呼んで戴いたり、十二紳将と背
比べをさせて下さったりした前貫首、中田聖観師が七月にお亡くなりになりまし
た。心なしか萩の花も寂しげです。                  合掌



[ 新薬師寺 ] しんやくしじ
山号 日輪山(にちりんさん) 
寺号 新薬師寺  
宗派 東大寺別院 華厳宗別格本山  
本尊 薬師如来坐像 (国宝)

新薬師寺縁起
一昨年当寺から西、奈良教育大学キャンパス北東隅から奈良時代の巨大な建物跡
が検出されたことは記憶に新しいところです。この遺構から、裳階を含めた柱間
東西54メートル、南北27メートルの建物が遺構の上にそびえていたと推定、
奈良時代の新薬師寺の中心伽藍だった金堂跡と判断したと発表されました。
新薬師寺は光明皇后が聖武天皇眼病平癒祈願して、天平19年(747年)勅願によ
り、七仏薬師像を安置した七仏薬師堂を建立したとされるのが草創と伝えられ、
その七仏薬師堂が金堂と推定されています。その後、度重なる兵火や災害で寺域
や伽藍のほとんどを失い、再興されないまま現在に至っています。

●南門。
鎌倉時代再興の簡素な四脚門。(重文)




●本堂。
外観の優雅な佇まい、天平の息吹を伝える唯一の遺構です。
本尊は薬師如来坐像。(重文)
お顔の大きさに比して異常なほど大きな目と堂々のお体は、拝する人に存在感と
安心感を与えることでしょう。円形土壇の須弥壇にご本尊が南向きに坐し、周囲
に十二神将(一体を除いて国宝)が外向きに並んだ独特の内陣構成です。


●本尊薬師如来のお顔。数年前に描いたペン画です。


●本堂と萩。


●本堂前の灯籠。基礎の蓮台は天平時代、上の灯籠は室町時代の作。


●鐘楼。袴腰に漆喰塗りの珍しい作風。(重文)


●本堂と萩。


●地蔵堂。三体のお像が祀られている小さなお堂です。


●境内の萩。




●会津八一の歌碑。
碑には、
「ちかつきて あふぎみれども みほとけの みそなはすとも あらぬさひしさ」 
が刻されています。




●庫裡の庭。方丈池を中心に小さなお庭ですが、左奥に見えるのが香薬師堂。
会津八一が歌に詠んだみほとけは金銅仏 「香薬師如来立像」のこと、盗難に
遭い現在行方不明。


●香薬師堂の偏額。香薬師如来と揮毫されています。


●十三重石塔。
東大寺二月堂の修二会を始めた実忠和上の塔。倒壊などで現在五重の石塔。下二
段が創建当初のもので上部は修復されたものです。


●東門。武家や貴族の宅の棟門の姿を伝えています。(重文)


●長~い白壁土塀。


三カ寺巡り、お  し  ま  い

運慶初作、大日如来のお寺。圓成寺。

2010年10月05日 | 奈良の古寺巡り


(2010.10.2 訪問)
般若坂からR369号を柳生方面へ走ります。田園風景が次第に山間道へとかわり、
両側に山が迫ってきますが気持ちのいい山容で、ほどなく左手に圓成寺名石標が
見えます。

[ 圓成寺 ] えんじょうじ
山号 忍辱山(にんにくせん) 
寺号 圓成寺(今は円成寺と表記する例が多いようです。)  
宗派 真言宗御室派  
本尊 阿弥陀如来坐像 (重文)

圓成寺縁起
平安中期開山命禅上人が十一面観音を祀られたのが始まりで、その後迎接上人が
阿弥陀堂を建て阿弥陀如来を安置。ついで仁和寺の寛遍僧正が東密(真言密教)
の忍辱山流を始められたのが寺歴の始まりと言うようです。そのご山間寺院の悲
哀はこのお寺にもおよび、兵火や明治の悪法廃仏棄釈で寺勢はガタガタ、今の境
内と建物を残すのみになったと云います。

●寺名石標。


●庭園。石標横の参道石段を下りると見事な浄土式苑池庭園が広がっています。




●楼門。入母屋檜皮葺き二層楼門(重文)。浄土から石段で入山する形をとって
いますが通行は出来ません。


●楼門扁額。山号の忍辱山と揮毫されています。


●本堂(阿弥陀堂)。
向拝付き寝殿造り。中央階段左右に舞台が設えられています。(重文)
堂内中央の四本柱に聖衆来迎菩薩が描かれ極彩色が残り内陣須弥壇上御厨子に本
尊阿弥陀如来坐像を祀っています。壇の四隅には四天王像が安置され中央須弥壇
の周囲は回ることが出来ます。


●本尊阿弥陀如来坐像。
少し目を下に向けているので、大いなる瞑想に見え非常に穏やかなお顔です。お
体は漆箔が十二分に残っています。坐高145.4cm半丈六坐像。(重文)


●本堂舞台。


●本堂扁額。


●本堂前に咲く萩。


●多宝塔。
本尊大日如来坐像。どなたもがご存じの仏師運慶渾身の初作と云われています。
漆箔状態は決して良いとは云えませんが、像姿の安定感、お顔の若々しさなど若
き運慶全身全霊の鑿さばきが偲ばれます。しかし本当に二十四~五歳の青年の作
とおもいます?どうでしょう父大仏師康慶さんの関わり具合は…。
塔は平成二年再建。


●護摩堂。


●鐘楼と青もみじ。




●左春日堂と右白山堂。
圓成寺の鎮守社。鎌倉前期の春日造り。(国宝)


●境内から楼門。


●楼門の組み物。


●十三重石塔と宝篋印塔。
境内西隅に今にも崩れそうに建っています。宝篋印塔は比較的新しいもののよう
です。お寺の若い僧に訊ねましたが由緒は判りません。


苑池庭園南畔から中之島を通して楼門を見ると本堂が望めます。見事な一直線は
相当計算された結果でしょう。周辺を包む緑の樹叢もやがて錦秋の時が来れば見
事に変身するのでしょうネ。
それでは萩のお寺、新薬師寺に向かいます。

秋桜はもう少し待ってといってます。般若寺。

2010年10月04日 | 奈良の古寺巡り


(2010.10.2 訪問)
この日は曇り予報に反して上々のピーカン! 朝8時過ぎ「土曜日は古寺を歩こ
う」に出動。般若寺、圓成寺、新薬師寺に向かいました。
関西花の寺17番コスモス寺として知られるこのお寺も、狂暑、狂夏の影響さめや
らず、コスモスはまだまだチラチラホラホラ状態です。しかしおじさん、おばさ
んカメラマン、いいカメラお持ちで境内ウロウロ、結構な人出でした。

[ 般若寺 ] はんにゃじ
山号 法性山(ほうしょうざん) 
寺号 般若寺  
宗派 真言律宗  
本尊 文殊菩薩騎獅像 (重文)

般若寺縁起
高句麗僧がこの地に精舎を開創、天平時代、聖武天皇が平城京鬼門鎮護「大般若
経」を納め勅願寺とし「般若寺」と命名したと寺伝は伝えます。その後学問寺と
して大いに隆盛するも、奈良の宿敵、平重衡の南都焼き討ちで壊滅。鎌倉期に叡
尊上人をはじめ西大寺の僧たちの復興協力で今日の姿の基礎が出来たといいます。
叡尊さん、その弟子忍性さんの貧者病者救済の慈善行は特に有名です。

●楼門。屋根の反りが綺麗な山門です。国宝、本瓦葺き2階建、楼門作例で日本
最古。


●十三重石宝塔。高さ14.2m。般若寺のシンボルタワー。宋人伊行末の作塔で十
三重石塔のスタンダードと云われています。


●鐘楼。


●本堂。
江戸期の再建。大屋根から向拝への瓦流れは美しい曲線美です。本尊文殊菩薩騎
獅像。ご本尊には初めて拝しました。薄暗いお厨子の中、獅子に正面乗りの小さ
い壇像風お像(50cmたらず)なので細部までは分かりませんが文殊菩薩青年期の
きりっとしたお顔はうかがえます。髷は六髷に見えましたがはっきりとは分かり
ません。


●本堂前のコスモス。


●十三重石宝塔基壇から見た本堂。


●本堂前岩座に建つ不動明王立像。


●コスモスはまだまだですが、紫苑の薄紫は咲きそろっています。


●石灯籠。文殊型の名灯籠、火袋には獅子や鳳凰が浮き彫りされています。


●一切経蔵。


●紫苑に蝶?


●十三重石宝塔の東基壇に薬師如来坐像。


●ツイン笠塔婆。宋人伊行末の子息、伊行吉が父母供養のために造立。


●彼岸花は数は少ないようですが、満開状態です。


●西国三十三か所観音霊場石仏。江戸中期に寄進されたものらしいです。




●コスモスと石像。


●コスモス寺の〆はなぜか彼岸花。いやみにみえます?


それでは圓成寺に向います。

ユニーク、モダーンテンプル。一心寺。

2010年10月01日 | 大阪の古寺巡り


(2010.9.29 訪問)
所用で阿倍野からの帰り、これまた所用で日本橋でんでんタウンまでブラブラ歩
き中、一心寺の前を通りかかったので訪ねてみました。このお寺は「お骨佛」で
有名なお寺です。午後5時過ぎでしたが、けっこう参拝の方がおられました。
どこか大いなる勘違いがありそうなヘンなお寺と思うのはボクだけでしょうか、
いやボクがヘンなのです。
兎に角新旧ごちゃ混ぜの境内、これをユニークとかモダーンとか云うんでしょう
か、云うんです。とりあえず恐る恐る境内へ入りました。

[ 一心寺 ] いっしんじ
山号 坂松山(ばんしょうざん) 
院号 高岳院  
寺号 一心寺  
宗派 浄土宗  
本尊 阿弥陀如来立像

一心寺縁起
東へ谷町筋を越えると四天王寺西門、北へ行くと寺町、南は茶臼山、この辺一帯
は古来、荒陵(あらはか)呼ばれ、和宗総本山四天王寺の山号が荒陵山と呼称さ
れるのもその由縁です。法然上人がこの荒陵の地に草庵を結び「荒陵の新別所」
と称して止住したのが一心寺の開基と伝わるそうです。

●仁王門。なんと申しますか万博パビリオン風オブジェ。


●金剛力士阿形像。

「考える人」がいきなり暴れ出した感じ。ごめんなさい、作家さん。

●金剛力士吽形像。

彫刻家、神戸峰男さん作、青銅像。像高5m超。

●寺標石柱。ざっと7~8mはありそうです。


●本堂。本尊 阿弥陀如来立像。




●開山堂。法然上人をお祀りしています。


●法然上人廟。


●念仏堂。光り輝いています。これぞ極楽浄土のめじるしか。


●納骨堂。有名な「お骨佛」はこのお堂に祀られています。


●手水舎。


●鐘楼。


新旧取り混ぜた堂宇、ほとんどが新しいもの、「うれしがり」「新しもん好き」
と云う大阪人精神、思いっきり目立ちます。それにしても凄い檀那衆が居られる
のでしょう。大変賑やかな境内で、シアターやティールーム、いろんな石碑、著
名人のお墓などところ狭しです。時間外だったので各お堂には入堂できませんで
した。