土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

紀三井寺は西国三十三カ所観音霊場二番札所です。

2012年06月11日 | 和歌山の古寺巡り


(2012.06.09訪問)
桜の名所と謳われる紀三井寺も、この時期はすべての樹々が青々と緑一色。四半世紀以前は、毎年桜情報の
発信はこの紀三井寺からが第一報だったように思います。桜シーズンに関わらず西国三十三カ所観音霊場第
二番札所としてのこのお寺、参詣の方々はやはり並ではありません。結構な人出です。

[ 紀三井寺 ]
●山号 紀三井山 (きみいさん)
●寺号 金剛宝寺護国院 (こんごうほうじごこくいん) 紀三井寺は通称
●宗派 救世観音宗総本山
●開基 為光上人
●開創 宝亀元年 (812年)
●本尊 十一面観世音菩薩(秘仏)
●西国三十三カ所観音霊場第二番札所

紀三井寺縁起 (紀三井寺HPから抄出)
紀三井寺は今からおよそ1230年前昔、宝亀元年 (770年) 唐僧為光上人によって開基された霊刹です。
為光上人は、伝教の志篤く身の危険もいとわず、波荒き東シナ海を渡って中国(当時の唐国)より到来されま
した。そして諸国を巡り、観音様の慈悲の光によって人々の苦悩を救わんがため、仏法を弘められました。
行脚の途次、たまたまこの地に至り、夜半名草山山頂あたりに霊光を観じられて翌日登山され、そこに千手
観音様の尊像をご感得になりました。上人は、この地こそ観音慈悲の霊場、仏法弘通の勝地なりとお歓びに
なり、十一面観世音菩薩像を、自ら一刀三札のもとに刻み、一字を建立して安置されました。それが紀三井
寺の起こりとされています。

▼参道からの楼門 (重文)。




▼寺標。山号と本名が刻されています。




▼楼門(山門)。重層三間一戸、十二脚門、入母屋造、本瓦葺、二層は勾欄付き縁が巡っています。
 永正6年 (1509年) 建立。




▼金剛力士阿形像。




▼金剛力士吽形像。




▼参道石段。目の前真っ暗!結縁坂と呼ばれる231の石段です。キツイです。シンドイです。
  唖然としたまま上りだしたので上向きの写真撮り忘れです。




▼参道石段の途中に、紀三井寺の名の起こりの三霊泉の一つ「清浄水」。
 結局発見したのはこれだけ。「楊柳水」「吉祥水」は未発見です。




▼六角堂。参道石段を上りきったところに建つお堂。西国三十三カ所のご本尊をお祀りしています。




▼新仏殿。平成14年 (2002年) 竣工、鉄筋コンクリート造。堂高25m。




▼新仏殿の本尊。3階外廊からガラス越しの拝観になります。
 本尊十一面千手観音菩薩立像。像高12m、寄木造総漆箔、平成20年 (2008年) 年落慶。
 仏師は松本明慶さん。
 マアなんと申しましょうか、とにかくデカイ、キンキンピカピカ、これでもかというぐらい光ってます。




▼新仏殿。参道途中から見上げました。




▼新仏殿3階から境内を。




▼鐘楼(重文)。
重層、入母屋造、本瓦葺、袴腰。二層は勾欄付き縁が巡っています。天正16年 (1588年) 建立。




▼大師堂。空海さんをお祀りしているのでしょうネ。




▼手水舎。




▼本堂。総欅造、桁行9間、梁行9間、入母屋造、本瓦葺。宝暦9年 (1759年) 建立。
 本尊十一面観世音菩薩立像(重文)。像高161.5cm、平安期の作。秘仏50年毎開扉。現在は収蔵庫に安置。
 内陣の荘厳や仏像の安置は暗くてネットありでサッパリ目視出来ません。
 本堂全景が撮れません。屋根は千鳥破風しか見えませんが、その下に唐破風が設えられています。




▼本堂扁額。救世殿と揮毫。




▼本堂外陣には観世音菩薩の大提灯。




▼賓頭盧尊者。本堂外陣に安置されています。




▼花菖蒲。本堂前に鉢がズラリと並んでいます。




▼開山堂。
 桁行3間、梁行3間、宝形造、本瓦葺。本堂右手の石段を上がるとこのお堂が建ってます。
 やや寂れた感じ、ここまでは訪れる人も少ないようです。






▼多宝塔(重文)。
 開山堂と対面して建てられています。文安六年 (1449年) 建立。現存する最古の建物だそうです。




▼鎮守の三社権現。昔のおネーサンが不思議そうに見つめていました。




▼参道途中にある不動堂。




▼不動堂須弥壇奥に波切不動明王をお祀りしています。火焔光背見えます?




▼楼門左手に建つ観音堂。方3間、1間向拝付きの宝形造、本瓦葺。



▼観音堂内陣、本尊七鈴観音菩薩立像をお祀りしています。




名草山の山麓のそう広くない境内に、堂宇伽藍や石像石碑がところ狭しと建てられています。お堂周辺には
桜をはじめ多くの樹々が植栽され、古色蒼然のお堂、朱に塗り直されたお堂、鉄筋コンクリートのお堂と新
旧入り乱れた山内は、参詣者の目を楽しませてくれます。特に新仏殿の十一面千手観音菩薩立像は新しさを
差し引いても、一見の価値ありですよ。



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今熊野観音寺はさすが札所、賑やかなお寺です。

2012年06月06日 | 京都の古寺巡り


(2012.06.02訪問)
今熊野観音寺は正式には観音寺、西国三十三カ所観音霊場第十五番札所です。泉涌寺の塔頭ということです
が、なんのなんの本山よりも参拝者は大勢、やはり観音霊場ということで、南無遍照金剛や南無阿弥陀仏と
記した白衣の方々が御朱印を受けておられました。

[ 今熊野観音寺 ]
●山号 新那智山(しんなちさん)
●寺号 今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)
●宗派 真言宗泉涌寺派
●勅願 嵯峨天皇
●開基 弘法大師空海
●開創 弘仁3年(812年)
●本尊 十一面観世音菩薩(秘仏)
●西国三十三カ所観音霊場第十五番札所

今熊野観音寺縁起 (今熊野観音寺HPから抄出)
大同2年(807年)、弘法大師空海さんが熊野権現のご霊示を受けてこの地に庵をむすばれた。
弘仁3年(812年)、空海さんは嵯峨天皇から官財を賜わり、勅旨を奉じて諸堂を造営された。
さらに左大臣藤原緒嗣の発願によって広大な寺域に伽藍の造営が図られ、その造営は緒嗣なき後も続けられ、
緒嗣菩提事業として、藤原春津に受け継がれ、斉衡2年(855年)にされた完成された。

▼寺標。泉涌寺参道沿いに建っています。ここから坂を下ると目印の赤い橋に出会います。




▼参道入り口、鳥居橋。




▼散らばっていたものなんでしょうね。みちしるべの寄せ集め。




▼子供たちが慕っています子護大師。境内に入って最初に弘法大師空海さんに会うことが出来ます。。




▼大人たちが慕っています。子護大師をグルーッと廻り、ひたすら祈願です。




▼本堂。本尊 十一面観世音菩薩(秘仏)、像高一尺八寸。絶対秘仏でお厨子前にお前立がお立ちです。




▼径1m位はありそうな大提灯。




▼今熊野観音寺創建当時の三重石塔。相当風化が進んでいるようで。




▼大師堂。護摩修法と修行道場。




▼大師堂須弥壇には弘法大師空海さんが祀られています。




▼ぼけ封じ観音菩薩像。翁と媼が一心に祈っています。人ごとではないですワ。
「ぼけ封じ近畿十楽観音霊場」があるそうでご心配の方、巡礼をどうぞ。




▼鐘楼。




▼鎮守社。左、稲荷社。右、熊野権現社。
空海さんは東寺の門前に於いて稲を負いたる老人に会逢い、これを祀って東寺の鎮守としました。稲を担っ
ておられたところから稲荷と呼ばれるようになったと云われ、とりわけ真言宗では稲荷明神を大切にしてい
るそうで、真言各寺院では鎮守社として奉祀されている例が多いと云います。




▼多宝塔(医聖堂)。塔高16m、昭和59年(1984年)建立。
医と宗教が手をたずさえて、明るく健康に暮らせるような社会が築けるよう、人々の願いを込めて建立され
たそうです。






▼阿弥陀如来石像。
定印を結び、如来正装でいいお顔をされてます。霊光殿(信徒納骨堂)の台座の上に鎮座されています。



▼本堂と青もみじ。



どこにもピンがきていない写真!
ボケもさることながら、そうとう目も傷んできたようです、ボクの場合。


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御寺、泉涌寺は月輪山を背に鎮まっていました。

2012年06月05日 | 京都の古寺巡り


(2012.06.02訪問)
京阪東福寺駅で降りてから、どちらを訪ねるか決めようとウツラウツラしているうちに駅に着きました。
東福寺と泉涌寺、どちらも数年前訪ねて以来のことです。
「そうだ泉涌寺に行こう」というメイカイな理由でとりあえず東大路通りから泉涌寺道をお寺に向かいます。
結構タクシーの往来があり、三々五々参拝の方々の姿も見えます。

[ 泉涌寺 ]
●山号 東山(とうざん)
●寺号 泉涌寺(せんにゅうじ)
●宗派 真言宗泉涌寺派
●開山 月輪大師 俊芿(がちりんだいし しゅんじょう)
●開創 嘉禄2年(1226年)
●本尊 三世仏、釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、弥勒如来坐像

泉涌寺縁起 (泉涌寺HPから抄出)
東山三十六峯の一嶺、月輪山の麓にたたずむ泉涌寺。皇室の菩提所としてまた諸宗兼学の道場として、壮麗
な堂宇が甍を連ね、幽閑脱俗の仙境、清浄無垢の法城となっている。
当寺は天長年間、弘法大師がこの地に草庵を結び、法輪寺と名付けられたことに由来し、後に仙遊寺と改名
された。建保6年(1218年)当寺が開山と仰ぐ月輪大師俊芿(がちりんだいししゅんじょう)が宇都宮信房から
この聖地の寄進を受け、宋の法式を取り入れた大伽藍の造営を志し、嘉禄2年(1226年)に主要伽藍の完成
をみた。その時、寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めた。この泉は今も枯れることなく
涌き続けている。
当時朝野の尊信篤く、後鳥羽、順徳上皇、後高倉院をはじめ、北条政子、泰時も月輪大師について受戒する
など、公家、武家両面から深く帰依された。
大師入滅後も皇室の当寺に対する御帰依は篤く、仁治3年(1242年)四条天皇崩御の際は、当山で御葬儀が
営まれ、山稜が当寺に造営された。その後、南北朝~安土桃山時代の諸天皇、続いて江戸時代に後陽成天皇
から孝明天皇に至る歴代天皇、皇后の御葬儀が執り行われ、山稜が境内に設けられて「月輪陵(つきのわのみ
さぎ)」と名づけられた。こうして当山は皇室の御香華院として、長く篤い信仰を集めることとなる。泉涌寺
が御寺(みてら)と呼ばれる所以である。

▼総門。




▼泉涌寺境内マップ




▼御寺の文字が泉涌寺のステータス。大門横の寺標。




▼大門(重文)。江戸期初頭、御所の門を移築したもの。




▼大門から下り参道。前方は仏殿です。




▼仏殿(重文)。本尊 三尊仏。釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、弥勒如来坐像。
単層裳階付、桁行5間、梁行5間、入母屋造、本瓦葺。唐様建築。寛文8年(1668年)再建。
重層に見えますが、下屋根は裳階で、内部は天井が高く播龍図が睨みをきかせており豪快な内部ですよ。
本尊三体の中尊釈迦如来坐像は、現在修仏のため不在、代わりに写真が置かれています。




▼仏殿(重文)。
四隅の花頭窓が唐様禅の匂いを感じさせます。




▼舎利殿。仏牙舎利を納める霊殿です。この日は入堂できませんでした。
重層、桁行7間、梁行6間、入母屋造、本瓦葺。唐様建築。江戸慶長年間内裏の御殿を改装移築し、上層を
付け足した建物だそうです。




▼舎利殿。




▼楊貴妃観音堂。本尊 楊貴妃観音坐像(重文)。




▼楊貴妃観音坐像。(Yahoo画像から)
伏し目がちの美しいお像で、宝冠の緻密な透かし彫りには驚きました。お口の紅、瓔珞以外は彩色はないよう
に見えます。1230年中国請来仏といわれる通り、エキゾチックなお顔と法衣デザイン、持物や派手な宝冠は
なるほどとナットク出来ます。




▼水屋形。泉涌寺名の由来になった泉の覆屋。今も往時と変わらず名水は涌出しているそうですよ。




▼浴室。床下に鉄釜で湯を沸かし蒸気を床上に入れる蒸し風呂だそうです。




▼浴室の蟇股には牡丹の浮き彫りがあります。




▼月輪山を背景に境内です。




▼霊明殿唐門。




▼霊明殿。桁行7間、入母屋造、桧皮葺、1間向拝付。
明治15年(1882年)10月炎上の後、同17年明治天皇によって再建された尊牌殿で、天智天皇、光仁天皇そ
して桓武天皇以降の天皇、皇族方の尊牌をお祀りしています。




▼勅使門。
四脚門、軒はすべて菊の御紋瓦です。天皇勅使や皇族方が訪れた時のみ開門。




▼御座所玄関から勅使門。残念ながら御座所玄関、内部は写真×です。




▼御座所庭園。




▼御座所庭園。




▼本坊。




▼本坊山門。




▼本坊玄関。




▼月輪陵の説明木板。
霊明殿の東に鎮まる陵墓は月輪陵(つきのわみさぎ)と呼ばれ、四条天皇、後水尾天皇から仁孝天皇までの25陵、
5灰塚、9墓が営まれているそうです。




▼月輪陵御拝所手水舎も立派です。




▼月輪陵御拝所手水盤は皇室菊御紋16八重の表裏32の花弁を表しているようです。




▼月輪陵御拝所。広大な前庭から望む月輪山は天皇御陵とともに深く静かに鎮まっています。




▼下り参道を下から撮りましたが坂には見えません、ヘタですね。



境内から大門へ戻ります。それでは、お隣の塔頭今熊野観音寺へ向かいましょう。


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