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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

選手としての経験か、それとも指揮官としての名声か

2013-04-10 23:13:05 | 日記
 選手経験が例えなくとも、監督として生きることが出来る。

 これはサッカーが持つ大きな魅力のひとつですが、彼らにはより多くの機敏、言い換えれば想像力が必要になると思えます。

 若い世代ならばインテルのストラマッチョーニ、経験豊かな世代であればズネスク・ゼーマンにアルセーヌ、ヴェンゲル、そ
してアリゴ・サッキとルイス・ファンハール。

 彼らは選手ととして特筆すべき成績を得ていません。

 もし選手として多少なりとも汗を流したことがあれば、こんな心情の時にはこんな言葉に感銘を受けた、この監督のこんな発
言に腹がたった。

 など、選手の心理を慮れることが容易になります。

 しかし選手経験がないことは、時に自分がどんな言葉をかけるべきか迷うこともあるように見えます。

 今季再びボカ・ジュニオルスの指揮官に就任したカルロス・ビアンチは、現役時代フランス・リーグで大活躍したFWとして
も知られています。

 だからでしょうか、ビアンチは愛弟子のひとりであるFWマルティン・パレルモが脚に負傷を追い、戦列を長期離脱する形に
なった際、彼を励まし続け、パレルモの復帰戦をリーベルとの大一番に決定したと、ナンバー529号に記されています。

 同じFWという共通点もあったのでしょうが、ビアンチにはパレルモが必要であろう言葉、そして行動が脳裏に瞬時に浮かん
だと想像できます。

 矛盾しますが、優れた選手が優れた監督にならないこと、これもサッカーの日常です。

 マラドーナのように補佐役をつけず、自分の不得手な部分までをも見せながら指揮を執る人間もいれば、クリンスマンのよう
に補佐役(レーヴ)を指名して快進撃をお膳立てした指揮官もいます。

 不思議なのは選手時代に確かな足跡を刻んだ人物よりも、指揮官として名声を得た人物の方が長期政権を得ることが多いこと
でしょうか。

 ベルギー代表はビルモッツを指揮官に指名し、好感触を得ていますが彼のような存在は例外だと考えた方が良いでしょうね。
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新戦力獲得、それは灯台下暗しか

2013-04-10 02:05:20 | 日記
 なまじお金があると、簡単に新しいものを買ってしまいます。

 僕は最近小遣い節約のために、何かが不足したと感じた際は机の引き出しや箪笥の中の段ボールをひっくり返して、使えそ
うな物が残っていないか探します。

 ノート、鉛筆、消しゴムにボールペン。

 文房具の多くは使いかけが随分残っていますし、おながか空いたならば家にある乾麺を茹でて食べればよい。

 そう考えます。

 サッカーも、「灯台下暗し」ではありませんが、戦力というのは案外自分の足下に転がっているように思います。

 貧乏クラブがお金を浮かすために、ユースやカンテラに着目するのは当然ですが、案外戦力外と見なされている選手でも、
輝く瞬間があるはずです。

 例えば主力が疲労で調子を落としている際や、リーグ戦とカップ戦の狭間に置かれ、ターンオーバーせざるを得ない場合な
ど、そんな際に

 「役立たず」

 とレッテルを張られた選手が活躍すると、どこか心地よい気分になります。

 ラウル・ゴンザレスのルーツがアトレティコ・マドリーのカンテラにあったことは有名ですが、カンテラの維持費にお金が
かかるのは確かでしょうが、彼らがクラブの基軸

 「戦力補強と金の成る木」

 であることも確かです。

 有望株と主力の売却は単なる延命措置であり、運営の抜本的見直しになるわけではありません。

 ですがいずれ移籍してしまうとしても、外国籍選手主体とカンテラ主体のクラブでは、ファンの熱意だけでなく、スポンサー
の意気込みも随分違ってくるとは思うのですが。
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