塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

バロンドールに漂う思惑

2016-11-03 01:29:33 | 日記
 日本レコード大賞が大賞発表の前に、既に受賞者が決定していると指摘されています。

 もし報道が事実であれば、それは出来レースであり、癒着と金銭を含む様々な問題点が浮上するでしょう。

 この模様はTBSが放送権利を持ち、大きな批判を集めています。

 もし彼らが何かを批判したいならば、まず身内に大きな批判を浴びせ、その問題点を解決してからでないとなんの意味も持たないと言えます。

 僕がサッカーの代表監督で、TBS関連の番組、毎日新聞から批判を浴びたならば

 「身内の問題点に罵声を浴びせてからこの会見場に来てくれ」
 「そうでないとアンフェアだろう」

 と伝えるでしょう。

 さて、出来レースと聞いて感じたのがバロンドールです。

 この権威ある賞も、なかなか筋が通った受賞にならないことで近年批判を浴びています。

 2001年のオーエウン、2007年のカカのように

 「とびぬけた活躍の選手がいない」
 「大きな国際試合が少なく、選考が難しい」

 と囁かれる年もありました。

 2005年のロナウジーニョのように、だれもが当然と思う受賞にならないのは、主観の違いにもよりますが、国別の差もあります。

 僕はドイツ勢を応援するわけではありませんが、2013年はリベリ、2014年はノイアーが受賞すべきだったと感じます。

 今年は恐らくロナウドかベイルになるのでしょうが、後者が受賞すればあのジョン・チャールズを抜き、ウエールズ出身で最高の選手と称えられるでしょうし、ギグス、ベラミも祝福しますね。
コメント
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