塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

高校時代の部活動を回想して

2021-02-12 20:55:17 | 日記
 僕は高校時代卓球部で、部室の両隣りはバスケットボール部とサッカー部でした。

 今でこそTリーグがありますが、当時の卓球部においてバタフライやニッタクは必須ブランドでしたが、他の部活動からすればまるで知られていませんでした。

 ちなみにエアー・ジョーダン7のグレイが鎮座していたことだけは、今でもよく覚えています。

 僕は電車通学で当時駅前にジーパン店と本屋があり、電車が到着するまで暇つぶしをしていましたが、ジーパン店にはエアー・ジョーダン8が販売していましたね。

 また書店は欲しいファッションムックを貪るように読んで、記憶に留めていました。

 それは1990年代前期の話、2020年代前期の今は

 欲しい情報はすぐにスマートフォンで確認できる
 サッカースパイクもバッシュの劇的に進化

 と言う隔たりはすさまじいものです。

 サッカー部の部室からは、プーマ、アシックス、ミズノの「黒と白」のスパイクが、手入れもされずに放り投げられていましたが、あれでは自分のスパイクを探すことに手間取ったと思います。

 当時はナイキの影響力が無く、僕の学校ではこの3ブランドが強かったように記憶しています。

 アディダスやディアドラという生徒がいたかもしれませんし、ロットは無かったのではないでしょうか。

 どうして部活の記憶をたどったかと言いますと、ミズノが「モナルシーダネオ2」を開発し、本日お披露目となったためです。

 日本製は17600円と高額ですが、テイクダウン、ラストも揃っておりミズノとしては購入の幅を持たせています。

 初心者向けは7000円台から購入できますし、旧作をセールで買っている生徒さんからすれば、新作情報はいつだって欲しいに決まっています。

 今は高校生でも海外サッカー情報を入手でき、実際遠征できますよね。

 時代が変化してゆくことについていくことも大変でしょうが。
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アディダスが過去に開発した技術とは

2021-02-12 20:38:16 | 日記
 アディダスは1988年、最高峰のライン「エキップメント」を生み出します。

 それらに搭載された技術が「トルション」と呼ばれる棒であり、この棒が歩行する際生じてしまう「足のねじれ」を防ぐという画期的な代物でした。

 サンマーク出版「スタンフォード式 疲れない体」の223ページにおいて、正しい歩き方についての言及があり

 1・歩幅が自分の足の2倍くらい
 2・肩甲骨は寄せて歩き、耳と肩は一直線のラインをキープ
 3・かかと、足の外側、つま先の順で地面を踏む

 とあります。

 つまりトルションは「3」に対して大きな効果があったと推測されます。

 ちなみに222ページでは

 「一日歩くだけで人の足にはおよそ500トンもの負荷がかかっているという説がある」

 とも指摘しています。

 サッカーの場合、その走行距離が注目される一方で、正しい着地と負荷についての意見交換が少ないように思います。

 GKは特殊ですが、フルバックのように守備と攻撃で膨大に走る選手の疲労、足の観点は今後のスパイク開発に多くな影響を与えるのではないでしょうか。

 アディダスはトルションの後には

 チューブラ、フィート・トウ・ウエア、エーキューブ、バウンス、ブーストと言う形で、時代に即した衝撃吸収素材を開発し、搭載してきました。

 ここが一貫して「エア」の形状を変化させて選手の要望に応じてきた、ナイキとの決定的な差ではないでしょうか。

 ウールシュポルトがGK専用ブランドとして名を馳せていますが、今後はGKだけでなく、フルバック、センターフォワードなどポジションごとにスパイクが開発されるかもしれません。

 ナイキはバッシュでガード用に「フライト」フォワード用に「フォース」を提供し、コンバースはPGのケビン・ジョンソン用に名品「ランスラム」を提供します。

 このバッシュはランニング・テクノロジーを採用し、軽量化が行き届いていることでも知られていました。

 こうしてみますと、足の保護や着地、他分野の応用などがスパイクに活用できるように思えてくるのです。
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バイエルン、6冠の大偉業

2021-02-12 14:43:49 | 日記
 前回のブログで「適正」という表現を用いましたが、「適性」の誤りでしたので今修正しました。

 お詫び申し上げます。

 本題に入ります。

 バイエルン・ミュンヘンがクラブ・ワールドカップで優勝し、2009年バルセロナ以来となるシーズン6冠をたたき出しました。

 グアルディオラ率いる俊英たちが獲得した6つの優勝は、まさに前人未到でありもはや並ぶクラブはないと思われていましたが、その12年後に受賞クラブが登場するとは思えませんでした。

 しかもバイエルンは間接的に今でも「グアルディオラの痕跡」が感じられますし、なにより指揮官を一回交代しただけ、ここまで劇的な変化が生じるとは、誰も考えなかった現実です。

 クラブ首脳陣であるルンメニゲも驚いていいるでしょうが、張本人のハンジ・フリックはどう考えているのか、尋ねてみたいものです。

 ただ、クラブ・ワールドカップの主人公はバイエルンではなく、パルメイラスかもしれませんね。

 コリンチャンス、フラメンゴ、サンパウロなど、ブラジルのクラブが南米王者に輝いた際は、その奥が世界一になっていますが、パルメイラスは1999年の今回も世界王者に至っていません。

 グレミオは1995年、2017年は敗れましたが、1983年は優勝しています。

 クルゼイロは1997年、ドルトムントに敗れていますから、彼らも世界一の経験はパルメイラス同様もたない例外ではないでしょうか。

 コパ・リベルタドーレス決勝から本大会までは準備期間が無く、パルメイラスからすると批判はアンフェアかもしれません。

 ただ、どこかで北中米代表のティグレスには勝てるという、ある種の慢心があったかどうかは、正直定かではありませんが。

 ただ、クラブ・ワールドカップでより欧州の優位性が明らかになっている事実はどうしようもありません。

 スーパー・クラブワールドカップに移行したとしても、その点だけは何も変化しない事でしょう。
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人間には、適性がありますよね

2021-02-12 13:53:50 | 日記
 2019年夏、フランクフルトからレアル・マドリードに移籍した、セルビア代表のヨビッチ。

 彼はレンタルバックの形で、今冬から再度フランクフルトに移籍し、途中出場ながらも既にゴールを量産しています。

 ヨビッチの例を見ますと、人間にはやはり環境がどれだけ大切かという点と、適正が必ずあることを思わせてくれます。

 よく入社試験や中途採用試験で

 人事部による面接
 筆記試験や適性検査

 が行われますが、あれらは本当に人間を見抜くための材料でしょうか。

 確かに敬語の使い方や、基礎的なパソコンの知識は、入社試験前に本人が学んでおく分野であり、僕は大学時代この点をすごく疎かにしていて、今でも凄く後悔しています。

 一方で部署に配属される際に、ただ

 「〇〇へ配属する」

 と言い渡されるだけで、これだけでは漠然とした不安を取り除くことはできないでしょう。

 面接であなたが語ったこの点を考慮して、この部署で働いてもらいたいと思うのです
 適性検査と教養試験を評価したうえで、入社後はこのような働き方をしていただきたい

 と合格だろうが不合格だろうが関係なく、適切な説明が欠けているのが日本企業ではないでしょうか。

 僕は留学経験が無いので、他国の事情はわからないのですが。

 サッカーは自由競争ですから、選手はプロではなく「意中のクラブ」でプロになれます。

 しかし米国リーグは基本、ドラフト指名であり合衆国憲法の「職業選択の自由」が得られていません。だからこそ大リーグは6年、NBAは3年、NFLは4年だったと思いますが、選手には

 「FAの権利が与えられる」
 「今度はリーグではなく、自分の意思でチームを選べる」

 というわけです。

 こう思いますと、NPBが国内で9年、海外は7年のはずですがFAまでは長い年月が必要になります。

 意中のチームに入団できたとしても、監督や強化方針はどんどん変化しますから、必ずしも選手にプラスにはなりません。

 僕は毎日のように「適性」「自分の生きる場所」を考えています。
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挑戦することに意義があります。

2021-02-12 13:35:05 | 日記
 2020年、2年契約でトロント・ブルージェイズに入団した山口俊。

 しかし契約期間を1年残しながらも、ブルージェイズは彼のカットを決断し、山口は日本復帰が濃厚のようです。

 確かに数字上の防御率、8・06は褒められるものではありません。

 トロントは米国ではなくカナダの都市ですから、英語だけでなくフランス語も学ぶ必要があったかもしれませんし、公式級のローリングスに関する違和感を払拭することも困難だったかもしれません。
 
 それだけミズノとローリングスでは、指の感触に大きく差があると言われています。

 でも、大事なのは

 1・渡米して日本以外の野球に身を置いたこと
 2.周囲の喧噪を気にせず、挑戦したこと

 ですよね。

 外野は勝手に騒いでも、結局は日本に残って

 「ほら、見たことか。やめておけばよかったのに」
 「巨人軍にいれば、お金も経験も活用できたよ」

 としたり顔でいうかもしれません。

 でも、山口の挑戦は成績や契約で満足できなかったとしても、彼の心にはきっと何か考える材料を与えたに違いありません。

 名波浩が2000年、アジアカップで優勝とMVPを受賞した際に

 「俺はイタリアにパスタを食いにいったわけではない」

 と語りました。

 ペルージャに在籍する中田英寿との比較
 彼はローマに移籍し、更なる活躍をする
 一方で名波が在籍するヴェネツイアは、度重なる監督交代に悩まされる

 彼からすれば、前年降格から救ったアルバロ・レコバとの対比、これが一番苦痛だったでしょう。

 確かに同じ左利きですが、同じ点はそこだけでレコバはセコンダ・プンタの選手であり、名波は純粋にチェントロカンピスタの選手です。

 僕は挑戦する選手が、どれだけ不安と肝っ玉が必要がよくわかります。

 本田圭祐もそうですが、自身の意思で挑戦、退団を繰り返すことをマイナスの形で見ない方が良いのではと考えます。
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