塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕は夜出歩きません。

2021-02-13 21:21:28 | 日記
 ロナウドとメッシとビッグ2を追いかける筆頭格はネイマールです。

 ただ世間の声は厳しく、ネイマール自身も「適度」に遊ぶことを宣言しています。

 彼の言い分とすれば、若い時と異なり「分別」はついている、つまり練習と試合に集中するときは集中し、余暇ができたら遊んで発散してまた練習に励む、という意味合いなのでしょう。

 メッシとロナウドが夜外出する、羽目を外さないのは単純に、練習こそが試合で活躍できる担保を考えていることもそうでしょうが、深夜に外出することを好まない、もしくは関心が無い。

 という彼らの根本的な考えもあると思います。

 僕も大学時代、夜出歩くことはまずありませんでしたが、出歩くことに関心がないよりも

 夜出歩くことは「おっかない」
 もしひったくりや事故に遭遇しても、誰も気の毒には思わない

 という、自分の小心さがカバーしていたにすぎませんが。

 2000年代中期は、ロナウジーニョとジダンの時代でしたが、両者の関係も対照的でした。

 前者が素晴らしい才能を生まれつき所持していながら、サンバや楽器演奏など生活を楽しむこともサッカー同様に大切を考える一方、後者は常に静かな環境を好みました。

 ストイックさが全てとは言いません。

 ただロナウジーニョがジダンと同様の考えであれば、もっと長期に渡って全盛期は続いたでしょうし、引退後、パラグアイで偽造パスポーツで逮捕、と言う形にはならなかったように思います。

 ロナウジーニョは人間ロナウジーニョであり、ジダンは指揮官ジダンを選択しました。

 これはもはや、良いか悪いかではなく単純の個人の価値観によるもので、ネイマールの考えもある意味尊重されなくてはいけません。
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新しいヴィンテージを考えてみました

2021-02-13 20:53:57 | 日記
 東南アジアの富裕層は、イタリアや英国製の上等な革靴、背広を好む一方で、日本のようにアメリカン・ヴィンテージにも投資をしたいと思うそうです。

 興味深いのは、彼らは米国西海岸に出向くのではなく、東京でヴィンテージを購入するというのです。

 なるほどなと思いました。

 東京は数ある大都市の中で

 1・タクシーとハイヤー、地下鉄など交通網が整備され、清潔で何より遅れが無い
 2・ヴィンテージ・クロージング、メゾンの旗艦店、注文服、ユニクロなど、あらゆる服が一斉に集まっている
 3・それらの店舗で偽物を販売するような、アコギな商売をしている店主がまずいない

 という稀有な存在と言えます。

 日本の古着店も西欧と米国で買い付けをしますが、今「逆輸入」したらどうかと思うのです。

 1990年代前半から、日本は一気にクラフト・ジーンズ、スカジャンやスエットシャツの復刻が相次ぎ、ハワイアンシャツやウエスタンシャツなどその種類と品質は、万人が認めています。

 つまり、ヴィンテージにはタグや素材の遍歴があるように

 1・パッチに水牛を用いた初期のウエアハウス
 2・1987年にいち早く創業したスタジオ・ダルチザンの当時のジーパン
 3・日本企画で生み出されたリーバイスの502、503B,701、702などの赤耳付ジーパン

 これらを国内で探し求め、米国や東南アジアに輸出して、新しいヴィンテージとして買ってもらったらどうかと勝手に思ったのです。

 サッカーでも古いアディダスやプーマな人気ならば

 1・復刻もされたが1986年当時の初代モレリアや当時のミズノ・ジャージ
 2.アシックスのインジェクター2002のような、上質ですでに廃盤のスパイク

 これらを地方の専門店、スポーツ店で発掘し、海外のサッカー好きに買ってもらう、という方法です。

 ナイキ、アディダスのトラックトップは人気がありますが、古いヒュンメルやディアドラなどはまだ手付かずのように思いますし、日本ならば往年のヤンガーやヤスダも

 「新しいヴィンテージ」

 になる気がします。

 90年代はまだネットが普及しておらず、ヴィンテージ好きは「タウンページ」でスポーツ店を調べ、デッドストックを探していたんですよ。

 今でもこの手法、まだまだ通用すると思うのですがどうでしょうか。
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川淵三郎氏の判断を慮って

2021-02-13 20:43:44 | 日記
 結局五輪会長の話は流れてしまいましたが、川淵三郎氏の存在感は84歳の今でも廃れていないことが証明されました。

 彼の実行能力がJリーグとBリーグの発展に寄与したことは間違いなく、この観点が森元会長からの打診に繋がったと考えるのは、自然の流れですよね。

 むしろ、川淵さんは肝っ玉があると思いました。

 それは84歳という高齢は、一度何かの形で体調が崩れてしまえば、回復に時間がかかりますし、話が現実となっていれば「激務」という言葉が陳腐に聞こえるほどの日程が組まれたに違いありません。

 ただ、日刊スポーツが再度報じたように
 
 「オシムが、あっ、言っちゃった」

 というサッカーという競技の枠を超えた史上最大の失言が、蒸し返されてしまうことは明白でした。

 ジェフファンの多くは、は今でも2006年ワールドカップ後における、イビチャ・オシム日本代表監督就任とその経緯を快く思ってはいないのではないでしょうか。

 この発言後は、強気で知られる川淵さんも動転してしまい、僕は当時知らなかったのですが、釜本副会長が一瞬間をつなぎ、川淵さんもジェフのフロントにすぐ謝罪の連絡をしたと言います。

 話が蒸し返されること、つまり過去の事例は消せません。

 しかし、仮に就任が実現していれば

 もし当時の出来事が心から消えていないのであれば、大舞台で発言する勇気が必要である
 仮にその意図が海外に誤った形で打電されてしまえば、国外からも大きな批判が寄せられる

 というリスクを背負う形でした。

 サッカーは年齢制限がありますから、仮に再延期となれば更に選手選考が難題となりますし、当然オーバーエイジも同様です。

 ファイザーが手掛けたワクチンが遂に到着したわけですが、薬害エイズのしこりを思うと、躊躇する方がいることも当然のように思えてなりません。
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