塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

レッズ、柏木の退団騒動を考えてみました

2021-02-18 23:19:35 | 日記
 スボルメからすれば、契約する柏木陽介がこのような形で、在籍する浦和レッドダイヤモンズを退団することになったことは、残念に違いありません・

 長年アディダスを愛用してきたこの日本代表が、スボルメと契約を交わしたと聞いたときは驚きましたが、それだけスボルメからすれば、柏木陽介が契約選手として最適。

 と感じたに違いありません。

 これまでなら、キャンプ中に家族以外と食事をしても、さほどの大ごとにはなりませんでした。

 ただ、レッズがキャンプ地に選んだ沖縄県、そしてクラブから選手たちへの規則遵守を考慮すると、柏木に残された道は退団しかなかった、ということなのでしょう。

 退団、移籍先を探す、カテゴリーを下げる例としては

 1.選手自身がJ1で通じるだけの体力、持久力な失われたと判断した
 2・単純に契約延長にならなかったため
 3・怪我が多く、シーズン通じて満足できる働きが出来なかった

 など、純粋に契約面と競技面が多いわけです。

 ですから、柏木のように「自身の不始末」で退団した選手を迎え入れた際、ファンとスポンサーから嫌悪感が向けられる可能性はあるように思います。

 ただ過去セビージャに在籍したサミア・ナスリ、ニースに在籍したバロテッリのように、実力があればプライベートでの問題は受け流すというクラブもあります。

 Jリーグにも彼の実力は確かだし、この一軒で柏木が人間的にさらに成熟する要素を見つけた、と考えるGMもいるでしょう。

 今季のJリーグもまもなく始まるわけですが、規律というよりは選手自身が、自分が世間からどう見られているかが問われているように思います。

 政治家が辞職する、離党することで責任をとる、と言いますが、サッカー選手の場合はそこに用具メーカー、スポンサーも絡みますから、より大きな問題になりかねません。
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コロコロ、2部降格を回避

2021-02-18 22:55:23 | 日記
 1991年、コパリベルタドーレスで優勝し、トヨタカップに出場したチリ屈指の名門「コロコロ」

 欧州代表のレッドスター・シティベオグラードに0-3で完敗した時から30年の月日が流れた今、この敗戦よりも厳しい状況に置かれていたことを今知りました。

 「WEB 超ワールドサッカー!」によりますと

 1・コロコロはチリ・リーグの優勝回数32回
 2・しかし今季は開幕から低迷し、16位でリーグを負える
 3・そして17日、残留をかけた「ウニベルシダ・デ・コンセプシオン」とのプレイオフに挑む

 事になったというのです。

 しかも激励のはずが半ば脅迫めいたファンの声援もあり、コロコロは2部降格を回避したというのです。

 アルゼンチンでもリベル・プレが2部降格した際の喧噪は凄いものでしたが、仮に彼らが降格していれば、チリ全土を巻き込む桁外れの報道になったのでしょう。

 コロコロには南米の名手が在籍し、ボリビア代表のマルコ・エチェベリは1994年ワールドカップにエントリーの際、在籍クラブはコロコロでした。

 このコロコロの優勝以降、チリのクラブが南米王者に輝いたことはありません。

 アルゼンチン、ブラジル勢が強く、例外的には

 2002年 オリンピア パラグアイ
 2004年 オンセ・カルダス コロンビア
 2008年 LDUキト エクアドル

 などでしょうか。

 実はウルグアイ勢も勝ち抜くことができておらず、ファンはストレスをため込んでいるかもしれないですね。

 一方欧州勢も、1991年のレッドスターが東欧クラブ最後の優勝です。

 1991年のトヨタカップは、ある意味歴史的に意義深いように感じますが、現状東欧クラブが上位を目指すことが困難なのが、チャンピオンズ・リーグの現状です。

 
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選手が生んだプライベートブランド

2021-02-18 20:51:32 | 日記
 NBAを代表する名ポイントガードとして、今でもファンの多いマジック・ジョンソン。

 「マジック」というのは彼の美しいパス捌きに感銘を受けた記者が名付けたあだ名で、本来はアーヴィン・ジョンソンと言うのです。

 彼はミシガン州立大学で全米王者に輝き、名門LAレイカーズでも優勝5度という栄光の時代を築きます。

 その際、大学時代から宿敵として知られていた、ボストン・セルティックスの顔、ラリーバードと契約するコンバースのCM撮影で一緒となり、わだかまりが解けたという逸話があります。

 その靴こそ、過去何度も復刻されている名品「ウエポン」であり、日本企画のタイムラインで細部までこだわりぬいた形で2016年に再登場しましたね。

 実はマジック・ジョンソン、1992年に一度引退し、1996年に現役に復帰します。

 彼は派手な女性関係もあったためでしょうか、当時特効薬のないHIVに感染してしまい、自身の反省を生かしてHIVに関しての啓蒙活動を行うようになります。

 そして皆が驚いたのは、復帰した1996年、コンバースを履くと考えられていたにも関わらず、マジック自身が設立した靴ブランド「MVP」を履いて試合に出場したからです。

 今も昔も、自身のプライベート・ブランドの靴を履いて試合に挑むという例は、サッカーでもバスケットでもまずありません。

 シャキール・オニールがリーボックと契約終了後に愛用したブランド「ダンク」くらいでしょうか。

 実はヨハン・クライフは引退後「クライフ・スポーツ」と言うシューズブランドを、1979年にバルセロナで誕生させています。

 クライフ。スポーツは同じオランダ代表のデニス・ベルカンプ、マルコ・ファンバステンが愛用しましたが、前者はリーボック、後者はディアドラを最終的には履くこととなりました。

 クライフ・スポーツは2010年、フットサル・シューズで新しい立ち位置を迎えるのですが、今でも流通はしているようですね。

 ただナイキやアディダスのような、オーセンティックブランドに勝つには、よほどの性能とデザインが問われますから、彼らと契約した方が話は早いと思いますがね。
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ローマ、来季からスポンサーはニューバランスへ

2021-02-18 20:37:00 | 日記
 ASローマはナイキとの現行契約を今期で終了し、来季からはニューバランスになります。

 ニューバランスと契約するイタリアのクラブは、今回のローマが初めてのはずです。

 ニューバランスからすれば、リバプールを奪われた悔しさが幾分腫れるような形でしょうか。

 思い出されるローマのジャージと言えば

 中田英寿在籍時のカッパ
 その後スポンサーとなるディアドラ

 でしょうか。

 1983年のスクデット獲得の際はパトリックを纏ったファルカンが躍動し、87年から89年までは同じイタリアのエネーレがスポンサーとなります。

 そして「プリンチペ」として絶大な支持を得たトッティが1軍登録された1990年代は、アシックスと契約していました。

 (参考資料 東邦出版 サッカーユニフォームの殿堂 名越卓也著)

 今思うと、確かにイタリアではアシックスを愛用する選手とクラブが多く、1991年スクデット獲得時のサンプドリア、2002年中村俊輔の移籍で話題となったレッジーナ。

 彼らもアシックスでした。

 ニューバランスがローマを起点に更なる勢力拡大をセリエAで図るのか、それともまずはローマのみで様子を見るのかガキになります。

 と言いますのも、ユヴェントスはアディダス、インテルはナイキと懇意にありますが、ミランとフィオレンティーナあたりはスポンサー変更の可能性がしないでもないためです。

 特にミランの好調ぶりはプーマにとっても大きいでしょうが、この調子が一過性の形なのか、来季以降も続くのかを見極めることは、いささか難しいと思えます。

 プーマのスポンサー料はその前のアディダスよりも低いと指摘され、プーマが支援するセリエAのクラブはミランのみです。

 フィオレンティーナも過去はリーボック、フィラ、ミズノの時代があり、近年はル・コック、現在はカッパを移り変わりが激しく、ニューバランスとしては付け込める気がしますね。

 ナポリのカッパ、ラツイオのマクロンのように中規模ブランドでも信用を得られたなら、長期契約も可能になりますしニューバランスの方向性に注意したいと思います。
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