塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

歴史という手にできない代物

2021-02-28 21:47:46 | 日記
 米国と英国は植民地主義の置ける宗主国とは違うと思うのですが、それでも米国の資産家が英国の服装や思想を尊重していることは確かだと思います。

 厳格で結果を残してきた父に対し、頭の上がらない息子のような形でしょうか。(まるで我が家のようで困ってしまいますが)

 そこには新大陸と旧大陸、伝統と新参者という、米国がどうあがいても逆転できない「歴史の深さ」があります。

 僕はナイキがコンバースを買収したのは、この伝統を自分たちに組みいれることが目的だったと思います。

 実はコンバースは歴史的に経営母体が幾度も変化していますが、米国企画と日本企画があるにせよ、基本チャック・テイラーもジャック・パーセルも外見は発売当時から変わることがありません。
 
 過去、ニューバランスはPFフライヤーズを傘下に収め、プロケッズも見かけないわけではありませんが、流通面でいえば前者は既に流通していませんし、後者もあまり見かけません。

 ですから、現状、ナイキはコンバースの持つ保守と伝統を手にし、コンバースはナイキの革新と先見の明を得た形であると僕は考えています。

 ただ、ナイキにとってコール・ハーン、アンブロはコンバースほど重要な買収では無かったのかもしれません。

 アンブロは英国本社と日本のようにライセンス契約で収益を維持しながら、今でもサッカーの第一人者であり続けています。

 実はアディダスが手ばなすことを決意したリーボックは、アディダスよりも長い歴史があるんですね。

 ただ、アディダスはリーボックを活用して新しい何かを生み出す(例外は当然ありますが)よりも、ナイキに対抗してシェアを維持するため、これが買収劇の最大の理由だったのではないか。

 と僕は勝手に考えています。

 アディダスはサロモンも買収していますが、サロモンを手放そうとは考えていないようですね。

 アディダスはレオ・メッシの後釜となる契約選手の選出、NBAにおいてナイキに及ばない着用率など、何か改善をすべきと考えているのでしょうが、焦りは禁物のように感じるのです。
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練習はするべきか、しないべきか

2021-02-28 21:21:31 | 日記
 僕が大学進学を果たした1996年、日本ではパンクロック誕生20周年ということで、音楽専門誌はこぞって特集を組んだものです。

 おかげでマイナーなパンクバンドやハードコア・パンクバンドの存在を知ることが出来て、僕としては今でも印象に残る年なんです。

 サッカー好きは五輪代表がブラジル五輪代表の勝利した、しかし8強には進めなかったアトランタ五輪を当然連想するのでしょうが。

 実はこの年、1978年1月をもって解散した、セックス・ピストルズが再結成しツアーで来日も果たします。

 再結成後の英国公園を収録したアルバム

 「勝手に来やがれ」

 を当時甲府駅ビルに店舗を構えていた新星堂レコードで買い求め、ポータブルプレイヤーに差し込んで帰省のための「あずさ号」に乗ったことを今でも覚えています。

 ちなみにジョニー・ロットンはアーセナルを贔屓にしていると聞いたことがありますが、ピストルズ時代はマスメディアに追いかけられて観戦どころではなかったのでしょうが。

 ちなみにこの再結成アルバムで聞くことができる旋律は、当時の若々しさや怖いもの知らずの音楽ではなく、再結成のために大人の男が集まった円熟の音でした。

 評論家は

 「物凄く練習したようだ」

 と語っていた記憶がありますが、当たり前だと思いますよ。

 18年の歳月を経て集まった4人が、いきなりリハーサルと練習もしないで「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」や「プリティ・ベイカント」を弾ける、歌えると思う方が間違っていますよね。

 バルセロナ時代のブラジル代表ロマーリオは、練習に不熱心で指揮官クライフと幾度も衝突します。

 でも、彼はゴールを奪えてしまうのです。

 彼のような先天的に能力を持つ選手は明らかに別格で、僕のような鈍感な人間は日々の積み重ねが最後は物と言うと信じています。

 ロマーリオの凄いところは引退後、政治家になったこともそうですが、宿敵であるフラメンゴとヴァスコ・ダ・ガマの両クラブに在籍しても、何も怯むことの無かった肝の太さにあると言えます。
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果たして適切な助言はあるのだろうか

2021-02-28 21:08:18 | 日記
 「おい、ちょっと待ってくれよ、俺はまだ不満を抱えているんだ」
 「金に換算できないお前の助言に、俺はいつも負い目を感じっぱなし」

 この言葉は他界したカート・コヴァーンが「ハート形の形をした小箱」でしたためた歌詞です。

 1990年代を生きてきた方は、カート・コヴァーンとコンバース、グランジロックの生きざまを間違いなく目撃しましたよね。

 特に「スメルス・ライク・ティーンスピリット」の中で彼が唱えた

 「やあ、やあ、やあ、どれくらいひどい

 と押韻する歌詞はその美しい旋律と共に、実質的なデビューアルバム「勝手にしろ」を代表する楽曲となりました。

 ユルゲン・クロップやホゼ・モウリーニョのように、リーグ優勝とチャンピオンズ・リーグ優勝監督でさえ、成績が伴わないのであればすぐに批判が巻き起きります。

 ただクロップのように、ファン・ダイクを軸に故障者が続出して骨格が維持できない場合と、モウリーニョのようにリバプールほど戦線離脱の選手が少ない場合では、批判のトーンは異なりますが。

 むしろクロップの場合には

 「デヤン・ロブレンを残すべきだった」
 「補強が急務なはずだ」

 と言う戦績以外の事柄が多いように思えます。

 そしてグアルディオラのように、一気に成績が急上昇すると当然それまでの批判が影を潜め

 「やはり彼は素晴らしい」
 「シティのリーグ優勝が現実的だな」

 と持ち上げられます。

 それは降格の危機を抜け出した、アーセナルとミケル・アルテタが一番感じている事柄でしょうが。

 冒頭の「金に換算できないお前の助言」は、最終的には後出しじゃんけんのようになる、マスメディアやオブザーバーの意見を、僕が指揮官ならばそう皮肉を言いたいと思うだろう。

 そう考えたので引用したのです。

 日本はまだJ1、J2いずれも開幕1試合終えただけですが、アントラーズのような名門が5季リーグ優勝から遠ざかっている現状を思えば、ザーゴ監督にかかる重圧は相当ではなかろうか。

 と考えています。
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