あたたかな気持ちのあるところに出てくる二郎さんは、私の祖父がモデルだ。姫路出身の祖父は、髭を生やし、いつも着物姿だった。東京の湯島にあった鍍金会館に住み、鍍金協会の会報誌の編集をしていた。
インターネットで調べてみると、日本鍍金協会のホームページに、祖父の名前が出ているところがあった。十日会の創立者と記されている。「討論する・司会する・協力する」の修練を目指していたという。
「我々は二度と通れない道を歩みつつある。我々はもっとしっかり歩まねばならない」。祖父の言葉が、今の時代に生きる私の心に、大きく問いかけてくる。
十日会道標
インターネットで調べてみると、日本鍍金協会のホームページに、祖父の名前が出ているところがあった。十日会の創立者と記されている。「討論する・司会する・協力する」の修練を目指していたという。
「我々は二度と通れない道を歩みつつある。我々はもっとしっかり歩まねばならない」。祖父の言葉が、今の時代に生きる私の心に、大きく問いかけてくる。
十日会道標