だらだらと下る坂道を歩いていたら、リンリンとベルの音が聞こえてきた。「自転車だ」と思って、細い歩道の右側に身体を寄せた。そんな私の横を通り過ぎていったのは、バックを背負った女子高校生だった。
その後に、思ったこと。もしも私の耳が聞こえなかったとしたら、はたしてどうなっていたのだろうかと。もしかするとぶつかっていたのかもしれない。
自転車に乗っていた彼女は、前を歩いている私の耳が聞こえることを、ごく当然のこととして思っていたのであろう。自分と同じように、前を歩いている人は耳が聞こえるのだと。だからベルを鳴らし突けて、私の横を通り過ぎて行けたのだろう。
でも、現実にはどうだろうか。彼女の推測が正しいとは限らない。そうした推測がはずれたとしたら、悲しい事故が起きることになるだろう。
ここから学ぶべきことは何か。私たちは、自分の体験や知識を参照しながら、相手のことを推察しようとする。だが、それは自分を雛形にして、相手を理解する行為に他ならない。そのときに、相手が自分とは異なる存在であることに気づかないとすれば、想像力が欠けていることになりはしないか。
私とは異なる人々が世の中には暮らしている。だから理解できないのではなく、異なる人々の生活ぶりを思い描くことのできる想像力こそが、人と人をつなぐ力となるのだと思う。
背後からの自転車のベルを聞きながら、そんなことを思っていた。
その後に、思ったこと。もしも私の耳が聞こえなかったとしたら、はたしてどうなっていたのだろうかと。もしかするとぶつかっていたのかもしれない。
自転車に乗っていた彼女は、前を歩いている私の耳が聞こえることを、ごく当然のこととして思っていたのであろう。自分と同じように、前を歩いている人は耳が聞こえるのだと。だからベルを鳴らし突けて、私の横を通り過ぎて行けたのだろう。
でも、現実にはどうだろうか。彼女の推測が正しいとは限らない。そうした推測がはずれたとしたら、悲しい事故が起きることになるだろう。
ここから学ぶべきことは何か。私たちは、自分の体験や知識を参照しながら、相手のことを推察しようとする。だが、それは自分を雛形にして、相手を理解する行為に他ならない。そのときに、相手が自分とは異なる存在であることに気づかないとすれば、想像力が欠けていることになりはしないか。
私とは異なる人々が世の中には暮らしている。だから理解できないのではなく、異なる人々の生活ぶりを思い描くことのできる想像力こそが、人と人をつなぐ力となるのだと思う。
背後からの自転車のベルを聞きながら、そんなことを思っていた。