30年近く前に分担執筆で1章だけ書いた本の印税支払い通知書が届いた。3桁の印税と2桁の税金。差引残額は1コインショップで、1つの品物も買えない。そうした額の印税を支払ってくれる出版社に感謝。
初めて行く場所は、時間が長く感じる。帰りは、そうでもない。そうした非対称性の意識が生まれるのは、なぜなのだろうか。不思議であると同時に、それを科学的に確かめることの重要性を感じる。
3密を避ける一番よい方法は、実際に会わないということ。しかし、会わずに実験や調査をするのは、難しい。特に、卒論を書く学生にとっては、対面の実験や質問紙を配る調査ができないとなると、研究をするのは難易度が高くなる。
オンラインでの会合だけになって、今までのように、待ち合わせば歩まで出かけるということがなくなった。それはそれでよい。、オンラインでも工夫すれば、それなりに楽しく時間を過ごせる。だが、現実はそんなには上手くいかない。オンラインではどうやっても上手く伝わらないことがある。どうすればよいのか。それはこれからの課題だといえよう。
豆を煮るたびに思うのは、豆はそれぞれ違うこと。早く煮えるのもあれば、そうでないのもある。全体が同じようには柔らかくなっていかない。その加減が難しい。売っている煮豆は、どれも同じように煮えているのだが、きっとそうでない豆は、売り物にはならないのだろう。豆の個性と多様性を感じつつ、白花豆が美味しく煮えるのを待っている。
オンラインで遠くの人と話をできるのはよいことだ。
学会への参加も、旅費を気にせずにできるようになる。
朝早くでも、夜遅くでも、PCの前では問題にならない。
便利だが、でも、それでよいのかという気持ちになる。
会って、話して、終わった後に、ちょっと一杯。
そういうことができない中での、補助的な意味でのオンライン会g・
それを体験しつつ、やはり足りない部分があると感じる日々。
何かが足りない、その何かを求めて、という絵本の一節が思い浮かぶのであった。
学会への参加も、旅費を気にせずにできるようになる。
朝早くでも、夜遅くでも、PCの前では問題にならない。
便利だが、でも、それでよいのかという気持ちになる。
会って、話して、終わった後に、ちょっと一杯。
そういうことができない中での、補助的な意味でのオンライン会g・
それを体験しつつ、やはり足りない部分があると感じる日々。
何かが足りない、その何かを求めて、という絵本の一節が思い浮かぶのであった。
終わらない夏、というタイトルのドラマがあったような気がする。
今年は、終わらない冬、になりそうな気がする。
寒くて、厳しくて、寂しくて。
そんな冬が続くのかと思うと、寂しくて、悲しくて、辛くなってしまう。
今年は、終わらない冬、になりそうな気がする。
寒くて、厳しくて、寂しくて。
そんな冬が続くのかと思うと、寂しくて、悲しくて、辛くなってしまう。
論文執筆のなかで、図表作成は重要なポイントである。いかに分かりやすく、きれいな図表を作成するか。そのために、結構時間をかけることになる。
オンラインでの学会発表が終わった。聴衆の反応がわからないまま話すのは、放送大学でビ放送教材を録画した時と同じだった。普段の学会ならば、目の前に聴衆がいて、聞いてくれているという感触を肌で感じながら話ができるのに、今日は全く違った。オンラインは、やはりオンラインなのだ。限界を意識しつつ、やっていくしかない。
5、6日はオンラインでの学会。いつもならば、出かけて行って、研究仲間と出会い、旨いものを食べ、アルコールを飲み。というような感じなのだが、オンラインでは限度がある。研究発表を聞いたり、発表したりはできても、プラスアルファが。という感じです。