イコンのもとに


在宅介護16年が終了後、やっと自分のために生きられる。イコンも描いてます。ブログは書いたり書かなかったり、気分で。

時を経て①

2024年02月09日 | 岡山
在宅介護中の16年間は
自分のことが全くできなかったですね。
最初は同時介護でふたり看てましたから、私の時間などなく 
お風呂も日をまたいだ深夜に入っていました。

たまに施設に預けて京都に行っても、
介護をしたことのない大学の先輩から
「介護があるのに、何のこのこ遊びに来てんの」とか、
私がオリエント美術館に紹介したイコン画家には
人吉ハリストス正教会のイコノスタスを手伝っている時に
「年寄り看てないで、さっさとイコン描きなさい」と言われました。
口癖は、「私は札幌ハリストス正教会の神父の娘で、私のイコンが高いのは当然だ。
岡山の人間は私を敬うのが当たり前でしょう」と繰り返し言うんですから。
オリエント美術館に紹介して大失敗でしたから、学芸員には知らせました。

こんなことを平気で言う宗教画家にひっついていたら
オウムの二の舞だわ、と思いさっさと離れましたね。
中川智正くんは朝日高校の同級生でしたからね。
彼が麻原に会う前は、悪ではなかった。優しい人です。
彼は今でも私の友達です
宗教の危うさもわかっています。
甲本ヒロトくんたちが朝日に遊びに来ていて、バスケをしているのも見てました。
水道橋くんも来てたね。
みんな同い年です。

イコン画家は、画材も知らなくていいと生徒に平気で言ってましたから、金箔の独占販売やイコンにカビを生やす、アクリルチューブに粉の顔料ぶっ込む、などやってました。
人吉ハリストス正教会のイコノスタスはアクリルチューブに顔料入れなさいとイコン画家のアトリエで言われ、
もう、とんでもないと思い、イコン画家からは離れました。
文化財修復士の大学の先輩に聞いても、「それは有り得ん、剥落がすぐ起きる」ということです。
宗教画以前に、絵の画材を知らない画家でした。

ふたりの介護がやっと終わり、
16年間考えていたことを今していますが、
やりたいことのひとつに、磯田道史くんの歴史の話を知りたいと思ってました。
歴史家の磯田くんは私の小学校の後輩で、彼が歴史に目覚めた遊んでいた場所が全く同じなんです。
ですから、彼が話す岡山の場所は全てどこかわかり、話がまた楽しい。
岡山藩のいい加減さもよくわかります。
磯田くんの出たラジオや講演会を動画で流しているのですが、
30年前の疑問が磯田くんの歴史話で
やっと理解できたことがありました。

何が30年越しにわかったか?
その話を次に書きます。


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