おほきみは 農に帰れと 昭和ゆく 澄
*ほかの人が詠んでくれないと言うと、さっそく友人が一つ詠んでくれました。うれしいですね。わたしの周りにはやさしい友人がたくさんいる。いつでも愛を注ごうと待ち構えていてくれる。
この句の解説の前に、一つの歌を取り上げましょう。
秋の田の かりほのいほの 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ 天智天皇
百人一首のトップに出てくる歌ですから、覚えておられる人も多いことでしょう。「苫(とま)」は管や萱を編んだもので、秋の田んぼの世話をするときの仮小屋の屋根をそれで葺いたのです。秋の田の仮小屋の屋根の苫が荒いので、わたしの衣の袖も、露で濡れていることだよ。天皇陛下が滞在するところにしては、随分とみすぼらしいですね。
天智天皇はこのように、農民とそれほど変わらない暮らしをしていました。畑で農作業に従事し、それから稼いで、夫婦で暮らしていたのです。税収などはほとんどありませんでした。当時は税制度など発展してはいませんでしたから、天皇の暮らしも質素なものだったのです。
国のために良い仕事はするが、国から得られる報酬などほとんどなかった時代でした。現代の天皇陛下の暮らしからは、考えられないようなことですね。
昭和天皇は、赤坂離宮内に田んぼをつくり、毎年そこで田植えをしていました。それは今上天皇にも受け継がれていますが、霊的導きの一つのすがたでもあります。もう天皇は、王宮を離れ、田に赴き、天智の仮小屋のようなところに住み、農民のような暮らしに戻らねばならないと。
昭和天皇は、天皇家をたたむことを使命としてやってきた霊魂でしたので、そういう導きがあり、天皇が田植えをするという習慣を取り入れたのです。今の天皇はその真意も知らず、習慣だからということで、みんなの言うままにそれをやっているようだ。
天智天皇は農民のような暮らしをしながらも、魂は偉大な王であったが、今の天皇は、王侯の姿をしながらも、霊魂は農民より小さいのだ。何もできない蛙のような霊魂を、国の上に置いておいては、国がつらいことになる。なればもう、天皇家はやめなさい。天皇の田植えには、実はそういう意味があるのです。
神の導きというものは、このように不思議な形で流れてくるものなのですよ。
みゆきふる 畑の麦生に おりたちて いそしむ民を おもひこそやれ 昭和天皇
つたないうちに入りますが、素直な歌ですね。もう少し勉強させてあげればよかったものを、環境が許してくれなかったのでしょう。あの世界は、面目だけでできているようなものだ。心が麗しくても、どうしても形だけあればいいというものの心が染みついてくる。御製と言いますが、本当は別のものが詠んだのかもしれません。
わたしなら、こう添削するでしょう。
ふりしむる 雪の麦生に おりたちて いそしむ民の 手にぞそひたき
このほうが、あの方の気持ちに近いように思います。深い心を知る者があの方に添うことができれば、もっと良い歌を詠めるようにしてさしあげられたものを。
なお、「麦生」は「むぎふ」と読んでください。「芝生」や「園生」の「ふ」と同じ使い方ですが、少し浮いていますね。こういう言葉はありますが、詠み手はあまり使いこなしていないようだ。ここらへんが、天皇の御製というものなのでしょう。
降っては染み込んでくる雪の麦畑に降り立ち、畑仕事にいそしんでいる民のその手を、わたしも手伝ってやりたい。そしてもう、天皇などやめてしまうのだ。
天皇はもう、農民に帰れと言って、昭和天皇は逝ったのだ。