かかりおきし ことの珠玉を 水に混ぜ 溶けぬ思ひを たしかめむとす
*これは2008年のかのじょの作です。入院中のノートに記してあったものを取り上げました。たぶん未発表のものでしょう。
短歌や俳句では、字余りも技巧の一つです。定型から少しはみ出す気持ちが、微妙な意を伝えることがあります。そういうのは今までにもいくつか紹介してきましたね。
決まりを少し破るということに、決まりを少し破ってでも助けてあげたいとか、法則に違反してでも痛いことをやりたいとか、そういう気持ちを込めることができる。だが、安易にはみ出せばいいというものではない。感覚的に、感じのいいはみ出し方というものがあります。
「暗夜なれば」は撥音が含まれているから、はみ出している一音がそれほど気にならないが、どこか不穏な響きがある。
「つかみ捨つる」は「つ」が二つあるから、そこが微妙に重なって、字余りが幾分弱くなる。
痛いことをするためには、少しどこかで補強とか補修をしておかねばなりません。そのままどんと出すだけでは、やはりいたいですね。
この「かかりおきし」にも「か」が二つ重なっていますね。だから字余りでも、幾分はみ出し感が弱くなるのです。微妙に言葉が長くなったところに、自分がやってきた仕事の量を感じさせることができます。わたしもずいぶんいろんなことをやってきたと。
わたしがかかってきた仕事もいろいろあるが、その中で珠玉というものを、水に混ぜて、そのうちのどれが水にも溶けぬ真実のものであるか、確かめてみよう。
入院中の苦しみの中で詠んだものでしょう。あれほどたくさんがんばってきて、世間から受ける仕打ちは、強引に嫌なところに入院させられるということだ。みなに誠を尽くそうと頑張ってきたが、誰にも理解されない。わたしですら、わたしのやってきたことの真実を疑わざるを得ないような事態だ。果たして、わたしがこれまでやってきたことは真実いいことだったのだろうか。確かめてみたい。
そういう思いでしょう。
理解されないことには慣れていたつもりだったが、あれはちょっと辛かったのです。本人はほとんど何も言いませんでしたが。
自分たちの馬鹿さ加減が身に染みるのは、本当に遠い明日のことですよ、みなさん。同じことが自分に返ってきたときにわかるでしょう。あの人は、それでも耐えていくことができたが、あなたがたには耐えることができるでしょうか。
痛いものが自分に返って来る時に備えて、せめて、よい歌を詠える力のようなものは、身につけておきなさい。そうすれば、試練の時をこのように慰めることができるでしょう。