赤子抱き ひとり聞き入る 小夜時雨 夢詩香
*相変わらず季節を無視しています。「時雨(しぐれ)」は晩秋から初冬にかけて断続的に降る雨のことです。「小夜時雨(さよしぐれ)」はもちろん、夜に振る時雨のこと。一応冬の季語らしいですよ。
雨の多いこの国には、いろんな雨の名前がありますね。陰暦5月ごろに降る雨のことは「五月雨(さみだれ)」という。春に降るのは「春雨」、秋に降るのは「秋雨」、「氷雨(ひさめ」は雹や霰のことです。「霙(みぞれ)」は雪交じりの雨のこと。「霧雨(きりさめ)」、「小糠雨(こぬかあめ)」、春先に雨が続くと「菜種梅雨(なたねづゆ)」。「夕立ち」、「にわか雨」、「狐の嫁入り」、「雷雨」、「驟雨」、「涙雨」。意味はそれぞれに調べてください。
かのじょの最初の子は、10月の半ばに生まれました。秋ですね。最初の赤子育てはとても大変でした。それは、人生で初めての子供ですから、まだ右も左もわからない。育児書を見ながらなんとかやっていましたが、実際の子供は、全然育児書に書いてあるようなことはしてくれませんでした。
小さなアパートの一室で、ほとんど母親一人だけの子育てです。父親は仕事ばかりであまり協力してくれないし、子供は夜泣きして、ほとんど眠れない日が何日も続きました。心細いなどというものではない。かのじょには実母はいませんでしたから、助けてくれる人などほとんどいない。
そんな日の一こまを描いてみたのが、冒頭の句です。むずかる赤子を抱きながら、外に降っている時雨の音を聞いている。自分の子は自分で育てねばならない。誰にも助けてもらえないのだが、誰かに助けてもらいたいという心が、耳の感覚を外に向かわせている。
けれど誰もいるはずもありませんから、結局心は自分に帰って来る。思い通りにならない赤子育てに、さすがのかのじょもこの頃はつらい思いをしました。
でも子供を愛していましたから、一生懸命に育てていた。おむつを替え、お風呂に入れ、乳を飲ませ、添い寝して眠らせた。ほかのことはほとんどできません。家が散らかっていてもなかなか掃除もできません。食器洗いや洗濯さえままならない。赤子育てというのは、それまでの自分がいつの間にかまとっていた常識というものを、ものの見事に壊してくれます。どんどん自分を壊して、赤子に合わせていかねば、赤子など育てることはできません。
母親というものは、こういう経験を通して、自分を人に合わせるということを身につけていくものでしょう。
子供を産むと乳が出る女の体というものも不思議だ。それに子供が夢中で吸い付いてくるのも不思議だ。自分でこうしたわけでもないのに、自然に決まっている。そしてうまくいく。自分の乳を吸って、大きくなっていく赤子を見ながら、あの人はたびたび感動していました。
何もかも神がやってくださっているのだ。それでなければ、こんなすごいことができるわけがない。
そうやって育てた子も大きくなって、大人になり、いろいろな思いを味わっている。仕事はしていたが、すぐにやめた。今は親に背いて、ほとんど部屋に閉じこもっている。背丈の大きな男になってくれたが、横顔がかのじょに似ている。
わたしたちが共有しているこの存在の中には、あの子への愛がたっぷり残っている。どうにかしてあげなければと、わたしも思うのです。