しろかねの 餅になづなの 色を添へ 天つ日を知る 人にすすめむ
*昨日が少しあれでしたので、今日はできるだけきれいな歌をと思い、詠んでもらいました。
「なづな」は「薺(なずな)」ですね、解説せずともわかるでしょうが、一応確かめるのが勉強というものです。「天つ日」とはもちろん太陽のこと。「つ」は上代の格助詞で、「の」と同じ意味です。「国つ神」とか「沖つ白波」とか言いますね。「わたつみ」は「海(わた)つ霊(み)」で、海の神という意味です。
銀の餅に、なずなの花の色を添え、天つ日の真実を知る人にすすめよう。どうか食べてくださいと。
しろかねの餅というのは、かのじょの中に蓄えられた教養のことです。かのじょを表す表現の中に月がありますから、その属性である銀も、かのじょを表します。文字数の制限のある歌には、短い言葉にたっぷりと意味を染み込ませるのが肝要ですね。
「なずなの色を添え」とあるが、本来なずなは白い花で、添えられる色はありませんね。色を添えると言えば、赤や青や黄色の鮮やかな色をした花や草を添えるものだ。だのになぜ、白いなずなに色を添えさせるのか。想像してみてください。なかなかに面白い意が生じるでしょう。
要するに、他意はない。真心のみですから、どうぞ受け取ってくださいという意味になるのです。
この時代、たくさんの天使がこの世界に産まれてきていましたが、高い教育を得られたものはほとんどいませんでした。今の教育制度では、天使が望むようなことを教えてくれるところが、ほとんどないのです。わたしたちが求める知識は、学校ではあまり教えてくれないのですよ。ですから、天使や、人間の高い人たちは、学校以外のところで、いろいろと知識を吸収するしかない。それでも何とかなることはあるが、やはり限界はある。
だが、かのじょだけはこの時代、幸運にも大学に進むことができました。生来の勉強好きの性質もあって、学校を卒業してからも、いろいろ勉強してくれました。読書の量もことのほか多かった。ゆえにわたしたちが今得ているかのじょの教養の蔵には、それは豊かなものがあるのです。
これを死蔵しておくだけではもったいない。と、わたしは考える。ですからこのブログでは、かのじょが勉強してくれたおかげでたまっている教養を、全放出しようとしています。中国の故事から、ギリシャやヘブライの神話、仏教説話から、古代エジプトの歴史、はては天文学から西洋美術史まで、かのじょが蓄えてくれた教養は全部出すつもりです。
これを、高い教育を受けることができなかったほかの天使に、活用してほしいのです。
わたしたちは助け合う。自分の力を出し合う。恐れ多いことではない。自分もまた、やれることを友達のためにやりますから。阿呆になるほど情熱的に、ただ愛のみのためにやることができますから。
こういう時代ですから、できることはすべてやらねばなりません。この存在にできることはすべてやらねばなりません。それがどういうことになっていくかは、後になってみればわかることだ。今はただ、目の前にある材料を使ってやれることをやるだけです。
あなたがたも、結構面白いでしょう。生半可な大学の先生が言っていることより、ずっと深いし、おもしろいですよ。彼ではありませんが、明日もまた、やってあげましょう。