ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

2017-05-14 04:19:26 | 短歌






風を聞く 楠はおほのの 角に立ち 貝の琴負ふ なよたけを待つ






*先日、あふち(センダン)の歌を詠ってもらったので、楠の木の歌も誰か詠んでくれないかと頼みましたら、友人がこういうものを作ってくれました。

「おほの」は「大野」、広大な野原のことです。かのじょが慣れ親しんだ野原は、大野というほどではなかったが、わたしたちの心の中では、それほど広いと感じるものでした。いたいけな心を持つ人が、かろうじて生きていけるために必要なものを、見えない存在がたくさん、あの野原に持って来ていたからです。

「角」は「かど」と読んでください。「なよたけ」はもちろん、かぐや姫に擬したかのじょのことです。

風の声を聞く楠の木は、広い野原の隅に一人立ち、愛を語る貝の琴を背負っている、あの月の姫のような美しい人を待っている。

「風をきく」というところに、楠の木の孤独を感じますね。森の木立の中にいる楠の木なら、周りにいる木の声を聞くでしょう。だがあの楠の木の周りには、そんな木はいない。

野原の隅に立っていたあの楠の木のことを覚えている人は多いことでしょう。あの人にとっては一番の友達でした。野の隅に一人でぽつんと立っている姿が、遠い故郷を離れてひとりこんなところにいる自分と重なって見えたのです。犬を散歩させながら、毎日のようにあの楠の木を訪ねていた。楠の木もいつしか、かのじょを深く愛するようになっていました。

かのじょが毎日訪ねてきてくれて、声をかけてくれるのを、楽しみに待ってくれるようになった。

だが、あの楠の木はもうない。信じられないかもしれませんがね、かのじょが楠の木のところにばかり行くのに嫉妬した馬鹿男が、伐ってしまったのです。本当ですよ。嘘だと思うなら、あの野原に行って、周りの草花に聞いてみるがよい。あなたがたもいつまでも馬鹿ではない。感覚がすぐれて進んでくれば、人間がこれまで闇に葬ってきた真実を、いくらでも掘り起こすことができるのです。

馬鹿な男は、嘘が何にでも通用すると思っているが、それが浅はかなことだと気づいた時には、あまりにも大変なことになっている。いつまでもぐずぐずとして勉強をしないからそういうことになるのだが、意地を張っていまだに何もしようとしない。できるだけ時間を稼いで、馬鹿の方が偉いのだにするための活動をまた始めようと考えている。もうだめだというのに、まだそういう暗闇から出て来れない。

男の嘘というものは、あまりに大きいのですよ。自分の存在そのものを、他人とすり替えるからです。自分の自分をやらず、他人から盗んだ自分ばかり生きようとする。それで、たいそう美しい女を欲しがる。だが、馬鹿男にできることと言えば、かのじょが愛する木に嫉妬して、かなわぬ思いの苦しさをその木にぶつけることくらいなのだ。

声をかけるどころか、近寄ることすらできない。

あの楠の木がなくなってしまったことと、あの野原が痛いことになってしまったことは、かのじょが死んでしまったことと、無関係ではありません。傷ついた魂をかかえていたあの人にとって、かろうじて深い愛を感じられる場所だった。魂が呼吸できる場所だった。

阿呆はそういう場所を壊すことによって、かのじょの命を縮めてしまったのです。







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