馬鹿者は 来てはならぬと 夏椿 夢詩香
*ナツツバキは別名をシャラノキといい、文字通り、6月から7月にかけての夏の時期、白いツバキに似た花を咲かせます。仏教の伝説に言う沙羅双樹というのは、日本ではこの木のことを言うそうです。二本の沙羅樹という意味だが、釈尊が入滅したクシナガラ城外にはこの木の林があったそうです。彼が死んだとき、沙羅双樹は時ならぬ花を咲かせ、鶴の羽のように白くなってとたんに枯れてしまったと言います。伝説は伝説だが、そのせいかどうか、お寺の庭などによくこの木を見かけます。
ですがインドの沙羅樹はフタバガキ科で、ツバキ科のナツツバキとは全く違う木だそうですよ。
ナツツバキの写真があればいいのだが、いつものようにないので、代わりにこの写真で我慢してください。わたしたちは、あまり遠くへ行けないので、家の近くにある木や花の写真しか撮れないのです。ナツツバキを撮るには、ちょっと遠いところにドライブしなければならない。今頃はまだ咲いていないでしょうし。
沙羅双樹と言えば平家物語の冒頭の一節が有名ですね。一応引いておきましょう。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる人も久しからず、只春の夜の夢の如し。猛き者も終には亡ぬ、偏に風の前の塵に同じ。
祇園精舎とは、須達長者が釈尊のために祇陀太子の庭園に建てたお寺のことです。
祇園精舎という寺の鐘の音は、馬鹿が何をしても無駄だと言っているように聞こえる。釈尊が死んだときに枯れたという沙羅双樹の花の色も、ものごとには盛りの時から必ず衰える時がくるということを教えている。おごり高ぶっているものも長続きすることはない。春の夢のようにはかない。勢いがいい者も最後には滅ぶ。風の前に吹き飛ばされる塵のようなものだ。
平家の一族は時を得て国を支配し、栄華の夢を見たが、それはつかの間のことだった。何もかもが終わった後には、ほとんど何も残らなかった。なにゆえそうなったのか。
馬鹿が人の気持ちも考えずに、自分大事のエゴだけですべてをやったからです。ですから、人の反感を買い、勢力が衰えてきたときにはもう、ほぼ何もできずに滅んでいった。露よりもはかなく。
馬鹿とはそういうものだ。いつでも自分ばかり偉いものにしようとして、すぐにだめになる。人に迷惑ばかりかけて、世間を乱したあげく、つらいことになると逃げるようにいなくなる。そんな馬鹿はいやだと、沙羅樹は言うのです。
ナツツバキという木は、実は大変な人間嫌いです。木によっても性格があるのですがね、とにかくナツツバキは人間が嫌いです。よい人間にさえ、嫌な顔をします。この木が、沙羅樹として日本の寺院に植えられているのは、意味のないことではないでしょうね。
馬鹿な奴はいやだといっている木が、お寺にある。馬鹿なやつは来るな。絶対に来るな。おまえたちが来ると、世間が苦しくなる。みんなが不幸になる。馬鹿者はあっちに行け。
平家のようなやつは、二度と来るな。
釈尊の救いを伝える寺に、馬鹿者は来るなという木が植えられている。それはたぶん、自分を全く改めて、愛に目覚めないうちは、もう人間の世界に来てはならないということなのです。馬鹿が馬鹿をやめて、自分で自分を改めない限り、救いはないということなのです。
馬鹿者は来てはならない。人間になってから、来い。