比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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鹿児島の旅・・・知覧武家屋敷

2007-12-15 | 道を行く 九州の諸道
鹿児島市から南に30kmぐらいでしょうか。指宿スカイラインという有料道路を走ります。有料道路といっても上下一車線、山なみの上、カーブの連続です。

知覧ICから知覧町の中心部へ、やがて武家屋敷群という観光スポットに入ります。たいへん整備されたお武家様の集団住宅地です。官舎でしょうか。自前のものでしょうか。観光地でもあり生活地でもあるようです。開放されているのは七宅。
いずれも二ツ家という曲がり屋風、玄関が二つあり、枯れ山水の庭園(一つだけ泉水式)があります。高級武士のお宅のようです。

茅葺のお宅が1軒だけありました。庶民の住宅?。間取りが少ないです。


いたるところにツワブキ(石蕗)の花が見られました。本州よりすこし遅咲きのようです。

不思議な空間、近世にタイムスリップしたような静かな道を歩いています。

綺麗に清掃された道です。古い石垣は往時を偲ばせます。石垣の上の植栽はツツジ、お茶?(花を咲かせていました)、その上にマキの生垣が高く造られています。これは内庭の景観の一部として山型などにデザインされて刈り込まれています。南のほうですから照葉樹が多いですね。
それにしてもヘタなイラストだ。

知覧の武家屋敷、鹿児島県の観光地として見させていただきました。でも歴史的意味を考えると浅学菲才の私にはわからないことだらけです。
鹿児島城下から八里以上南になぜ武士団の屋敷があるのでしょうか。これを外城といい全領内に点在しているのだそうです。普通の藩なら郡奉行所とかの出先機関があるだけです。
薩摩藩90万石、琉球を除くと77万石(実高は35万石といわれる)。武士階級は上士、郷士に分かれ全人口の1/3ともいわれます。幕末まで財政がよく持ったものです。それが幕末の維新のエネルギーになったのでしょうか。

知覧平和会館のほうに向かいます。


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4 コメント

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コメントありがとうございます (北川忠武さんへ・・・)
2020-02-15 18:03:39
郷士のこと・・・ほとんど知りません。
水戸郷士、十津川郷士、土佐郷士と名前だけは聞いたことがあります。
各藩によって処遇は違っていたのでしょうか。

勉強します。

コメントありがとうございました。
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郷士は無禄 (北川忠武)
2020-02-15 17:24:41
先刻ご承知かとは存じますが、薩摩藩も郷士は士分格(姓は名乗れた)ですが無禄です。鹿児島で〇〇ドンと呼ばれるのはドン=殿(敬称)の名残です。
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もう13年もむかしの南九州の旅です (ちどりさんへ・・・)
2019-09-04 09:32:27
はじめての鹿児島でした。
ブログはじめたばかり、写真も文章もよちよち歩き。
知覧茶・・・美味しいですね。
鹿児島の旅では知覧と美山(薩摩焼)が印象深く思い出に残っています。

コメントありがとうございました。
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知覧は夫の実家があります (ちどり)
2019-09-03 21:04:37
夫は茶所知覧町の後岳です。
いとこは特攻観音の近く。
実家のお寺は知覧の町バス通りなので1年に5-6回お寺に行きます。そのたびの武家屋敷を歩きます。
スケッチ見事ですね、いいなー私は絵は苦手です。
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