比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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あの戦争の遺跡・・・彩の国・・・吉見百穴の・・・軍需工場跡

2016-10-31 | 語り継ぐ責任 あの戦争
10月24日、埼玉県吉見町の古代人遺跡「吉見の百穴」を尋ねました。
「吉見の百穴」のもう一つの遺跡、いまから71年前の1945年太平洋戦争の末期に作られた「軍需工場中島飛行機大宮製作所の分工場跡」を紹介します。

写真中央の横穴遺跡より少し大きい洞窟がその軍需地下工場入り口です。

見学を許されるのは入口付近のみ。入口は狭いですが中は横幅約3.5m、高さ4.0m。

工事は日本敗戦が決定的な1945年1月からはじまり、朝鮮人労働者約3500人、内地人1000人が従事。
計画は「吉松工事」と呼ばれ、トンネルの総延長8400m、総面積10000坪(約3㌶)。

敗戦1ヶ月前の7月に工作機械が搬入され生産開始、飛行機エンジンの主軸、シリンダーなど各部品が約300個ぐらい生産されていたといいます。
1945年8月15日敗戦、そのとき計画の80%が完成。

場内の説明パネルです。



資源大国アメリカと戦争をはじめた鉄も石油もほとんど生産のない日本、制海権、制空権、すべてを握られ国ごと手当たりしだい空爆にさらされた日本。最後の最後までよくやったというかあがいたというか・・・複雑な思いです。

夏草に覆われた「あの戦争の負の遺跡」です。

71年前のことです。すでに歴史遺産になりました。わたしたちはこの遺産から何を聞きだせばいいのでしょうか?

※この工場の本体であった中島飛行機大宮製作所は戦後に富士重工業大宮製作所となり、いまはイトーヨーカドーを中心とするショッピングセンター「ステラタウン」になっています。


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3 コメント

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ここにも・・・・・ (こきおばさん)
2016-11-01 06:20:45
これだけの大規模な工事、ここでも朝鮮人が連行され、過酷な労働を強いられていたのですね。かなりの犠牲者も出たのではないかと思います。
日本が戦時中にしてきたことを、今の子供や青年に知ってほしいと思います。
戦争と言う犯罪に、再び巻き込まれないためにも。
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朝鮮人労働者 (こきおばさんへ・・・ヒキノ)
2016-11-01 17:54:15
日本各地で働いています。
ダム工事、炭鉱、飛行場建設、わたしが子どものころ小学校で一個中隊単位が農地開拓をしていました。
強制であったか、そうでなかったかは、意見が分かれるところですが、脱走もあったようです。
ここではどうであったか、資料がありません。
すべての資料が消えてしまっているかもしれません。
戦略も戦術もない戦争を始めたそのときの国の首脳部の罪は大きい。
グループで来た方たちと少しお話ししました。百穴だけでなくとうぜん軍需工場跡もガイドさんは説明してくれます。
「こんなことをしていたのだから戦争に勝てるはず無かったね」というのが感想でした。

「白旗の少女」などが毎日閲覧が来ます。そんなブログを残して行きたいと思っています。
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宝物 (こきおばさん)
2016-11-02 06:31:13
ヒキノサマの一連の「語り継ぐ責任」のブログは、是非大勢の方に読んでいただきたい!と思います。
素晴らしいブログです。宝物だと思います。
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