信州上田の・・・六文銭の写真帳
信州を横断する江戸時代の幹線道路の中山道・・・小県郡長和町の長窪宿と北佐久郡立科町の芦田宿の間、標高850mの松並木の笠松峠へ。
1601年から五街道の整備を始めた江戸幕府が1604年「街道に並木道を」という植樹プロジェクトで全国各地の街道に並木道が作られます。インフラ公共事業です。植樹や手入れを繰り返し現在も美しい松並木を見せてくれています。
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伐採された松の株、苗木が育てられています。
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馬頭観音像です。馬はの機動力の無い時代、貴重な輸送手段の動力でした。
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明治時代の教育者、鉱物学者、奇人・・・保科五無斎の狂歌です。
☆保科五無斎(1868~1911年)・・・北佐久郡横島町(現立科町)に生れる。本名百助。長野師範学校卒業、県内の教員、校長を務める。
鉱物の収集、研究者。思うところあって教職を引き、塾教師、行商、新聞発行などを。信濃図書館(現長野図書館)の設立にかかわる。
五無斎はの号は江戸時代の経世論家(政治経済評論)林子平の号の六無斎(親も無し妻無し子無し版木無し金も無けれど死にたくも無し)にちなんで。
鉱物の収集、研究者。思うところあって教職を引き、塾教師、行商、新聞発行などを。信濃図書館(現長野図書館)の設立にかかわる。
五無斎はの号は江戸時代の経世論家(政治経済評論)林子平の号の六無斎(親も無し妻無し子無し版木無し金も無けれど死にたくも無し)にちなんで。
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※撮影日は2月27日。
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