昨晩のNHK大河ドラマ「青天を衝け」・・・で幕府転覆の謀議が行われた・・・渋沢栄一の学問の師匠、従兄、義兄・・・尾高新五郎(惇忠)の家です。
尾高惇忠家・・・深谷市手計、むかしの武蔵国榛沢郡下手計村。渋沢栄一の生家血洗島村から数100m。埼玉県道14号線下手計交差点そば、深谷宿から利根川川湊中瀬河岸に、島村の渡しに向かう幹線街道。「油屋」という屋号で商家を営んでいたそうです。江戸時代後期に建てられた商家建築といいます。2階の屋根に煙出しが見られますから養蚕農家でもあったようです(深谷市指定史跡)。
1863年10月29日の夜、高崎城乗っ取り、横浜異人居留地襲撃、幕府転覆の謀議がこの二階で行われたといいます。
尾高新五郎(1830~1901年)・・・のちに惇忠。渋沢宗家「東ノ家」から栄一の父親元助が「中ノ家」に養子で。元助の姉が「尾高家」へ嫁いで新五郎を生む。新五郎と栄一は10歳違いの従兄弟、新五郎の妹千代が栄一に嫁いだことから義兄弟、さらに新五郎の弟平九郎が栄一の見立養子になっており・・・ややこしい。
下手計村の名主の家に生まれた新五郎は学問に優れ自宅で寺子屋(尾高塾)を開き近隣の子どもたちに教えていて栄一もその門下生。そのころ流行りの「水戸学」(尊王攘夷思想)に傾倒、栄一ら子弟に大いに影響を与えました。
1863年10月29日、尾高新五郎家の二階で新五郎、弟の尾高長七郎、栄一、従兄の渋沢喜作、勤皇の志士柳田範之助、中村三平ら6名で討幕のための決起行動を確認。まず高崎城(大河内松平藩)を乗っ取り、横浜に進軍して居留地異人館を焼き払い異人を切り殺す。過激な学生運動など足下にも及ばない劇画のような荒唐無稽のテロ計画の最終ツメを行います。これに反対したのが長七郎、京都にいて天下の情勢を冷静に判断し、戦略も戦術もないただ精神主義の子どもみたいなこの計画の無謀さをみなに説いたといいます。議論は朝まで続いたが新五郎は中止を宣言、この荒唐無稽な計画は回避されました。
その後の尾高新五郎・・・江戸城開城のとき徳川慶喜に仕え幕臣となっていた喜作と行動をともにして彰義隊、振武隊に加わり、飯能戦争で敗れ、どうにか逃れ故郷に、1872年(明治5年)大蔵省官吏になっていた栄一に請われて官営富岡製糸場の場長に、のち栄一の興した国立第一銀行の盛岡支店長、仙台支店長を歴任。子の尾高次郎は武州銀行初代頭取、孫に郷土教育家、法哲学者、東洋美術研究家、社会学者らが、作曲家・指揮者の尾高直忠(名を記念した尾高賞がある)、曽孫に作曲家・指揮者の尾高惇忠、尾高尚明。
撮影は2015年2月。
尾高惇忠家・・・深谷市手計、むかしの武蔵国榛沢郡下手計村。渋沢栄一の生家血洗島村から数100m。埼玉県道14号線下手計交差点そば、深谷宿から利根川川湊中瀬河岸に、島村の渡しに向かう幹線街道。「油屋」という屋号で商家を営んでいたそうです。江戸時代後期に建てられた商家建築といいます。2階の屋根に煙出しが見られますから養蚕農家でもあったようです(深谷市指定史跡)。
1863年10月29日の夜、高崎城乗っ取り、横浜異人居留地襲撃、幕府転覆の謀議がこの二階で行われたといいます。
尾高新五郎(1830~1901年)・・・のちに惇忠。渋沢宗家「東ノ家」から栄一の父親元助が「中ノ家」に養子で。元助の姉が「尾高家」へ嫁いで新五郎を生む。新五郎と栄一は10歳違いの従兄弟、新五郎の妹千代が栄一に嫁いだことから義兄弟、さらに新五郎の弟平九郎が栄一の見立養子になっており・・・ややこしい。
下手計村の名主の家に生まれた新五郎は学問に優れ自宅で寺子屋(尾高塾)を開き近隣の子どもたちに教えていて栄一もその門下生。そのころ流行りの「水戸学」(尊王攘夷思想)に傾倒、栄一ら子弟に大いに影響を与えました。
1863年10月29日、尾高新五郎家の二階で新五郎、弟の尾高長七郎、栄一、従兄の渋沢喜作、勤皇の志士柳田範之助、中村三平ら6名で討幕のための決起行動を確認。まず高崎城(大河内松平藩)を乗っ取り、横浜に進軍して居留地異人館を焼き払い異人を切り殺す。過激な学生運動など足下にも及ばない劇画のような荒唐無稽のテロ計画の最終ツメを行います。これに反対したのが長七郎、京都にいて天下の情勢を冷静に判断し、戦略も戦術もないただ精神主義の子どもみたいなこの計画の無謀さをみなに説いたといいます。議論は朝まで続いたが新五郎は中止を宣言、この荒唐無稽な計画は回避されました。
その後の尾高新五郎・・・江戸城開城のとき徳川慶喜に仕え幕臣となっていた喜作と行動をともにして彰義隊、振武隊に加わり、飯能戦争で敗れ、どうにか逃れ故郷に、1872年(明治5年)大蔵省官吏になっていた栄一に請われて官営富岡製糸場の場長に、のち栄一の興した国立第一銀行の盛岡支店長、仙台支店長を歴任。子の尾高次郎は武州銀行初代頭取、孫に郷土教育家、法哲学者、東洋美術研究家、社会学者らが、作曲家・指揮者の尾高直忠(名を記念した尾高賞がある)、曽孫に作曲家・指揮者の尾高惇忠、尾高尚明。
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