比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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初冬の中山道・・・木曽路をゆく・・・宮ノ越から原野・・・中間点の標識・・・朝日将軍義仲と巴御前の里

2019-01-17 | 旧街道・峠道・旧宿場
信州上田の・・・六文銭の写真帳

初冬の中山道・・・「是より南 木曽路」の碑から贄川宿・・・平沢間の宿・・・奈良井宿・・・鳥居峠藪原宿、宮ノ越宿と道を進んできました。宮ノ越宿を過ぎてJR中央線原野駅あたりの国道19号線ぎわ‥・中山道の江戸日本橋と京都三条大橋までの中間点の標識があります。中山道のむかし標識があったかは知りません。

※撮影日は11月27日、

宮ノ越宿・・・宿の面影の残す町並みはありません。このあたり平安源平の時代の朝日将軍源義仲ゆかりの地。義仲は武蔵国比企郡大蔵の地(現嵐山町)の生れ、源義朝の子義平の軍勢に父義賢を殺され落ちのびて木曽の豪族中原兼遠の庇護の下にこの地で育ちました。長じて信濃国小県郡依田城で平家追討の旗揚げを、越中倶利伽羅峠で平家の大軍を打ち破り都に上がり征東大将軍に。やがて源頼朝の弟の頼範、義経の軍勢に敗れ戦死。義仲、巴御前ゆかりの史跡があります。
★明治の合併・・・1874年で宮ノ越村、原野村が「日義村」に。朝日将軍義仲の「日」と「義」を合わせた命名です。
★宮ノ越と藪原の間、国道19号線と国道361号線の分岐点神谷入口があります。ここから伊那の谷まで2006年開通の権兵衛トンネルを抜けて44㎞弱、50分たらずで出られます。そのむかし姥神峠の南麓の神谷村(現木曽町神谷)に古畑権兵衛なる牛方のお頭がいて伊那との物流ルートの整備を願い、各所の協力の下で1696年流通路整備に成功。伊那節で「木曽へ木曽へと つけだす米は・・・」と唄われる権兵衛峠です。


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