9月11日、秩父の奥まで来ています。荒川を堰き止めた二瀬ダム、トンネルを抜けて国道140号線を秩父市大滝の栃本地籍(むかしの栃本村)。ダムの湖岸から山の中腹に上がっていきます。国道140号線(甲州往還、秩父往還、彩甲斐街道、雁坂道)はいまは3本、落合から中津川沿いにループ橋を上がって大峰トンネルを潜るコース、荒川沿いのルートが新しいのですが、ここ栃本集落を通るコースが元祖甲州往還道です。
江戸時代の栃本関所跡。説明板のそっくりの受け売りをします。
戦国時代、甲斐の武田信玄がここに関所を置き、江戸時代に入ると徳川幕府の天領になり、1614年関東郡代伊奈忠次が関所の役人として大村某を藩士(公務員)に登用したとあります。天領で藩士というのがよくわかりません。大村家はそのご廃藩置県まで士分として関守を務めたいいます。士分1人では多忙?なので秩父栃本側の麻生と甲州の川浦に加番所というものを置いて通行手形をチェックしてさらに関所でチェックするというシステムをとったようです。徳川幕府は江戸へのあらゆる道からの通行者のチェックを厳重にしたのですね。
秩父往還道・・・国道140号線・・・つい最近の1998年までは中抜き国道、開かずの国道、点線国道、つまり秩父側と甲州側を結ぶ雁坂峠(2082m)越しは1998年雁坂トンネル(6625m)が開通するまで人道でした。栃本から下に見える国道は大峰トンネル(2200m)の南側の出口、秩父最奥の集落の川又があり、バス停、駐車場、トイレがあります。栃本からの道と川岸の道との合流点です。
川又から川岸の道を二瀬ダム方面に引き返します。
湖岸から徐々に高度を上げながら麻生、寺井、上中尾、そして栃本です。
遠くの谷底に見えるのは国道140号線の新道です。
標高約770m、川底面約580m。高度差180m。眼下によく手入れした段畑が見えます。
急斜面、狭い敷地に山国独特の建築様式の家並みが続きます。
遠くの谷底に見えるのは国道140号線の新道です。
標高約770m、川底面約580m。高度差180m。眼下によく手入れした段畑が見えます。
急斜面、狭い敷地に山国独特の建築様式の家並みが続きます。
江戸時代の栃本関所跡。説明板のそっくりの受け売りをします。
戦国時代、甲斐の武田信玄がここに関所を置き、江戸時代に入ると徳川幕府の天領になり、1614年関東郡代伊奈忠次が関所の役人として大村某を藩士(公務員)に登用したとあります。天領で藩士というのがよくわかりません。大村家はそのご廃藩置県まで士分として関守を務めたいいます。士分1人では多忙?なので秩父栃本側の麻生と甲州の川浦に加番所というものを置いて通行手形をチェックしてさらに関所でチェックするというシステムをとったようです。徳川幕府は江戸へのあらゆる道からの通行者のチェックを厳重にしたのですね。
さて栃本関所跡です。検問所兼事務所兼役宅のようです。
1818年、1823年と2度の火災に遭い、現在の建物は江戸後期です。2階は建増しとか。
チェーンが張ってあって誰もいません。黙って入りました。なぜか郵便受けがあります。
玄関は左側のようです。大戸のようですが潜戸はありません。
誰もいません。日曜日だからか、訪れる人もいないからなのか。
構造とか間取りとか見たかったのですが残念です。
1818年、1823年と2度の火災に遭い、現在の建物は江戸後期です。2階は建増しとか。
チェーンが張ってあって誰もいません。黙って入りました。なぜか郵便受けがあります。
玄関は左側のようです。大戸のようですが潜戸はありません。
誰もいません。日曜日だからか、訪れる人もいないからなのか。
構造とか間取りとか見たかったのですが残念です。
秩父往還道・・・国道140号線・・・つい最近の1998年までは中抜き国道、開かずの国道、点線国道、つまり秩父側と甲州側を結ぶ雁坂峠(2082m)越しは1998年雁坂トンネル(6625m)が開通するまで人道でした。栃本から下に見える国道は大峰トンネル(2200m)の南側の出口、秩父最奥の集落の川又があり、バス停、駐車場、トイレがあります。栃本からの道と川岸の道との合流点です。
川又から川岸の道を二瀬ダム方面に引き返します。
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