信州上田の・・・六文銭の写真帳
4月3日、信濃国の歴史を尋ねる。
長野市松代町大室にある「大室古墳群」(おおむろ)を尋ねました。 千曲川右岸、松代町大室から南に少し入った大室谷にある約500基の古墳群です。
1997年国指定史跡「大室古墳群」。16㌶の中に500基の集合墓、古墳館、駐車場。
千曲川を隔てて北の方角に長野市街、飯縄山が見えます。
盛土をした盛土墳、土石混合墳もありますが、8割近くが小石を積み上げた積石塚(渡来人墓制?)です。
建造は5世紀~8世紀、積石塚400基、前方後円墳1基ほか。土師器、須恵器、土馬など出土。
千曲川を隔てて北の方角に長野市街、飯縄山が見えます。
盛土をした盛土墳、土石混合墳もありますが、8割近くが小石を積み上げた積石塚(渡来人墓制?)です。
建造は5世紀~8世紀、積石塚400基、前方後円墳1基ほか。土師器、須恵器、土馬など出土。
※撮影日は4月3日。
※積石塚・・・高句麗の古墳で見られ百済を経て日本に渡ってきた墓制と考えられています。内部は横穴式、大きな石を合掌型に組み上げたものもあり朝鮮半島の古墳に似ているため渡来人の墓というのが定説。このあたり古代官営牧の「大室の牧」があり馬の放牧に携わるために高句麗系人が渡来したところといわれますから高句麗系の墓とする説がうなづける・・・ただ出土品が人物埴輪、円筒埴輪、馬具など朝鮮半島の古墳には存在せず国内の古墳に共通するものが多いため、渡来人の墓とする説も揺らいでいる。・・・ワカラなくなった。
★長野市松代観光協会の公式サイトより→クリック→「史跡大室古墳群」
※コメント欄open。
「大室古墳群」が渡来人の墓説は揺らいでもいるのですか・・・❔
前にマンモス展を見学したことがあります。つい最近は原形をとどめた鼻が見つかっています。
われわれの想像以上に、世界に分布しているのを識ると渡来人であるかもしれず、一方その知識が古墳を造らせたかもしれません・・・。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/326e64a6cf597544baec9c8a45a47720
わざわざ松代の片田舎まで足を延ばしていただき、
ありがとうございます。
大室地区からどのルートで古墳まで行かれたか定かではありませんが、
クルマ1台が通れば道幅に余裕のない狭い道路を行かれたのではないかと思います。
私も、この大室古墳は過去二度しか行っておりませんが、
ご存じの様に、この古墳はのどかな小高い丘に存在していて、
お写真もしっかりお撮りになられましたが、
長野市街全景や飯縄山もご紹介いただきありがとうございます。
多くは住宅地の下でしょうね。
山の中の古墳は保存されます。
この古墳は高速道の長野・須坂間でちらっと見えます。
こうした古墳を見ると、古代日本が朝鮮半島、中国大陸とつながりが深いことがわかってきます。このあたり、大室御牧という官営牧場、半島からの牧人が管理していたといいます。善光寺の半島とのつながりも見えてきます。古墳自体は何も証拠がないため形体、出土品で推論するより仕方がないのでしょうね。ロマンです。
マンモス、ユーラシアから日本列島、出されてるようです。奥秩父、西上州にマンモスが見られるようです。北陸では福井ですね。
長野の北の野尻湖にナウマンゾウの出土があります。
コメントありがとうございました。
小学生の課外授業にイイですね。
長野市は善光寺中心の観光都市ですが松代は素晴らしいところです。
硫黄島の栗林中将の墓のある明徳寺、大本営が印象に残っています。
コメントありがとうございました。
無かったはずの前方後円墳を民間人が見つけ出しました
自転車と遺跡を楽しむ会のブログでも紹介しています。
前方後円墳は現在、日本で4000基を越えるといわれます。
時代が進むとだんだん小さくなり、円墳、方墳などに変わっていき、数が多くなり、なぜか8世紀ごろにはなくなります。
備後の古墳、国や県、大学の調査が入るとイイですね。
史跡公園などになると数十億の予算がかかるでしょうね。多くは看板と簡単な道路を作りそれで終わりになります。
古墳・遺跡のブログをあつめてカテゴリーにまとめたものです。
https://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/c/4a79d143226997e4b6b1904c54a4444a