信州塩田平の道祖神・・・安曇野ほどではないのですが道祖神を見かけます。
信州塩田平・・・西塩田手塚、金井という集落の入口にある道祖神・・・その向こうに舌喰池・・・菅平高原が霞んでいます。
庚申塔、道祖神、常夜灯(〇皇子・・・皇子の上の文字が読めません)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/41/8143c718c3778e735fb3d83aff0b5818.jpg)
信州塩田平・・・中塩田下本郷・・・道路端に・・・台座を見ると移転されたもののようです。
単体道祖神?地蔵様?馬頭観音? (風化が激しく判別できません)、文字道祖神。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/cd/2618721fb2b214ca308a9b950f7b3986.jpg)
オコジョさんから馬頭観音ではないかというコメントをいただきました。馬冠が見えない、一面二臂、合掌か印かは不明。いずれにしてもわたしには決定づける知識がありません。
塩田平で道祖神といえば手塚集落から女神岳の麓を回りこんでいく野倉集落の双体道祖神。
2006年9月3日のブログ「東山道・・・保福寺峠・・・塩田平」・・・に野倉の双体道祖神をアップしました。
《薀蓄》
道祖神・・・中国伝来のもののようですが神様や仏様と融合したりして変遷してきました。路傍の神様、集落の境の結界に塞の神(悪魔に対するガードマン)、道の交差点に道中安全の神、子孫繁栄の神(双体神、餅つき神)、それに道教と神道の合体した庚申塔(道標べを彫ったものもアル)、仏教の地蔵様、馬頭観音・・・何でもアリの民間信仰・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
全国的ですが関東・甲信越に特に多いそうです。
道祖神といえば双体道祖神・・男女の神様が仲よく抱擁してるのを思い出すでしょうが、単体もありますし文字道祖神もあります。文字のみのほうが多いかもしれません。
特に多いのは信州安曇野・・800体近い石造道祖神があるそうです。
明治時代に入り政府は迷信として排斥して撤去を進め、さらに現在は道路整備により撤去、移転を余儀なくされ、貴重な歴史遺産が消えようとしています。移転されたものは寺社の境内、集落の共有土地、私有地などで保存、また小さな道路のものはそのまま残存、わたしたちの目に留まることがあります。
《蛇足》
松尾芭蕉も「奥の細道」序文で・・・
やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。
「そうだ東北に行こう・・・ソラッ(曾良)みちのく二人旅だ・・・道祖神も呼んでるぜ
」てなことを言ってます。
信州塩田平・・・西塩田手塚、金井という集落の入口にある道祖神・・・その向こうに舌喰池・・・菅平高原が霞んでいます。
庚申塔、道祖神、常夜灯(〇皇子・・・皇子の上の文字が読めません)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/41/8143c718c3778e735fb3d83aff0b5818.jpg)
信州塩田平・・・中塩田下本郷・・・道路端に・・・台座を見ると移転されたもののようです。
単体道祖神?地蔵様?馬頭観音? (風化が激しく判別できません)、文字道祖神。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/cd/2618721fb2b214ca308a9b950f7b3986.jpg)
オコジョさんから馬頭観音ではないかというコメントをいただきました。馬冠が見えない、一面二臂、合掌か印かは不明。いずれにしてもわたしには決定づける知識がありません。
塩田平で道祖神といえば手塚集落から女神岳の麓を回りこんでいく野倉集落の双体道祖神。
2006年9月3日のブログ「東山道・・・保福寺峠・・・塩田平」・・・に野倉の双体道祖神をアップしました。
《薀蓄》
道祖神・・・中国伝来のもののようですが神様や仏様と融合したりして変遷してきました。路傍の神様、集落の境の結界に塞の神(悪魔に対するガードマン)、道の交差点に道中安全の神、子孫繁栄の神(双体神、餅つき神)、それに道教と神道の合体した庚申塔(道標べを彫ったものもアル)、仏教の地蔵様、馬頭観音・・・何でもアリの民間信仰・・・
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全国的ですが関東・甲信越に特に多いそうです。
道祖神といえば双体道祖神・・男女の神様が仲よく抱擁してるのを思い出すでしょうが、単体もありますし文字道祖神もあります。文字のみのほうが多いかもしれません。
特に多いのは信州安曇野・・800体近い石造道祖神があるそうです。
明治時代に入り政府は迷信として排斥して撤去を進め、さらに現在は道路整備により撤去、移転を余儀なくされ、貴重な歴史遺産が消えようとしています。移転されたものは寺社の境内、集落の共有土地、私有地などで保存、また小さな道路のものはそのまま残存、わたしたちの目に留まることがあります。
《蛇足》
松尾芭蕉も「奥の細道」序文で・・・
やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。
「そうだ東北に行こう・・・ソラッ(曾良)みちのく二人旅だ・・・道祖神も呼んでるぜ
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