埼玉県鴻巣市「花久の里」、ここは元川里町(現鴻巣市)、見沼代用水、武蔵水路が流れる関東平野のど真ん中です。二代に渡る元衆議院議員故青木正、故正久の先祖代々からの家屋敷です。正久の義妹が幸田露伴の孫、青木玉さんです。旧家です。堂々たる長屋門があります。名字帯刀を許された本百姓と勝手に思いました。
2002年(平成14年)青木家から旧川里町に寄贈されました。リニューアルされてオープンしたのは五月の末のことのようです。屋敷地は1000坪、屋敷自体は50坪以上はあるでしょうか。中はフローリングされプチコンサートなどが開かれるようになってます。休みの日は「手打ちウドン」などが出されるお休み処にもなるようです。
嘉永4年(1851年)、明治維新の17年前です。明治30年の棟札も見つかったそうですが修復か建て直しかは不明のようです。箱棟瓦葺、1尺以上の大黒柱があります。
リノベーション・・・ではなく歴史的建造物の破壊です。ザンネンです。むかしの面影が消えているのです。武蔵野の農家の原点が見えません。
まっ!いいかっ!
中庭では農産物直売センターがあり新鮮な野菜が売られています。ここは米どころ野菜どころ花卉栽培どころです。草花、ハーブ、山野草などをも並べられています。
ウチョウランです。
日本に自生する東洋ラン。最近は栽培で増殖され交配による改良種も増えてるそうです。これはあきらかに改良種ですね。
値段は見忘れました。
カンアオイです。
ウマノスズクサ科。
なんだ!そりゃ!
カタクリの葉っぱのようにも見えます。こんなものまで栽培してるのですね。育てるのも難しそう。
2000円の値札が。
まだ早いので行田市の「さきたま古墳群」に散歩に行くことにしました。
長屋門から母屋。右の写真は外堀(構え堀)から見た母屋と土蔵。
2002年(平成14年)青木家から旧川里町に寄贈されました。リニューアルされてオープンしたのは五月の末のことのようです。屋敷地は1000坪、屋敷自体は50坪以上はあるでしょうか。中はフローリングされプチコンサートなどが開かれるようになってます。休みの日は「手打ちウドン」などが出されるお休み処にもなるようです。
寄贈された当時の青木邸です。
嘉永4年(1851年)、明治維新の17年前です。明治30年の棟札も見つかったそうですが修復か建て直しかは不明のようです。箱棟瓦葺、1尺以上の大黒柱があります。
リノベーション・・・ではなく歴史的建造物の破壊です。ザンネンです。むかしの面影が消えているのです。武蔵野の農家の原点が見えません。
まっ!いいかっ!
中庭では農産物直売センターがあり新鮮な野菜が売られています。ここは米どころ野菜どころ花卉栽培どころです。草花、ハーブ、山野草などをも並べられています。
ウチョウランです。
日本に自生する東洋ラン。最近は栽培で増殖され交配による改良種も増えてるそうです。これはあきらかに改良種ですね。
値段は見忘れました。
カンアオイです。
ウマノスズクサ科。
なんだ!そりゃ!
カタクリの葉っぱのようにも見えます。こんなものまで栽培してるのですね。育てるのも難しそう。
2000円の値札が。
まだ早いので行田市の「さきたま古墳群」に散歩に行くことにしました。
青木家屋敷のなんという惨状!
おっしゃる通り 歴史的建造物の破壊ですね
50年程むかし この家におじゃまし うなぎをごちそうになりました
長屋門わきの土塀の窓々の鉄格子は みな戦争中徴用されてしまったことなどをうかがいました
あちこちに凝った風情ある造作や景色がありました
当時も バラ園はすでに大規模でしたが 屋敷からは見えないように配置されていました
しかし やがてバラが屋敷内に浸食するようになるのでは?と危惧していましたが ここまでとは!!
建物の様子も まるで違います
今の様子はザンネンとしか言いようがありません
古民家のイメージで訪問したのですが、完全なリノベーション、しかも改悪でした。
歴史的建造物ですから完全復元で、
文化的なイベントに対応するような部分リノベーションを行ってほしかった。
埼玉には深谷の渋沢邸、小川町の吉田邸とか素晴らしい古民家があります。
コメントありがとうございました。