信州上田の・・・六文銭の写真帳
2月22日、古代律令時代の官営牧・・・信濃16牧の一つ望月牧、江戸時代の中山道69次25番望月宿、長野県北佐久郡望月町、いまは佐久市望月にやってきました。
望月・・・はてどんなところ・・・千曲川の右岸の小諸あたりから南に見えるコニーデ型の蓼科山。その裾野に広がる広大な洪積台地、台地の末端は河岸段丘の断崖。その台地上にあるのが古代官牧の中心地望月です。近世は幕府直轄の幹線道路中山道の宿場のあったところ。
国道142号線望月交叉点から旧中山道の道に入っていきます。
鹿曲川の左岸に沿った小さな町です。1843年の「中山道宿村大概帳」によれば家数82戸、うち本陣1.脇本陣1、問屋1、旅籠9軒。人口360人の小規模の宿だったようです。
往時の宿のおもかげを残している建屋を探して歩いてみました。
旧御本陣(現在は大森小児科医院)・・・跡地の大半は1887年法務省に寄付、登記所に。
1980年望月町所有に、1891年望月歴史民俗資料館に。
脇本陣・・・鷹野家、1819年大火、1825年再建。2階は大正期に養蚕のため増築。
問屋兼旅籠やまとや真山家・・・1765年の建造、国の重要文化財。
旧旅籠山城屋・・・現在も旅館業営業。明治期に入った1882年建築。
町の中で見かけた下駄屋?の看板。
国道から脇に入った静かな町ですが寄ってみたい町です。
1980年望月町所有に、1891年望月歴史民俗資料館に。
脇本陣・・・鷹野家、1819年大火、1825年再建。2階は大正期に養蚕のため増築。
問屋兼旅籠やまとや真山家・・・1765年の建造、国の重要文化財。
旧旅籠山城屋・・・現在も旅館業営業。明治期に入った1882年建築。
町の中で見かけた下駄屋?の看板。
国道から脇に入った静かな町ですが寄ってみたい町です。
※撮影日は2月22日。
※コメント欄開いています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます