目覚めて、いつものように洗面所の鏡をのぞき込むと、ない。
なくなっている。あるべき所に、あるべきものがないのだ。
顎髭が消えてなくなっている。のっぺりした顔が見つめ返すのみ。
どこかしまらない顔つきが再登場し、
「やはり、そり落とさなければよかった」と悔やんでも、もう遅い。
8年前、つまり70歳時の写真を改めて見ると、まだ顎髭は見えない。
はっきりとは覚えていないが、確かその年の年末年始の休みの間中、
不精髭をそのままにしておいた。
決して、髭が濃い方ではないが、それでもまずまず伸びている。

初出勤の日の朝、「さて、この不精髭をどうしようか」
という思いが、ふっと湧いた。
さっさと、そり落としてしまえば何ということもなかったのだろうが、
「さて」と一呼吸置いたところに、なにがしかの思いが浮かんだのであろう。
さして特徴もなく、どちらかと言えば締まりのない顔つきだ。
姉に言わせると、「父とそっくりの顔つき」なのだという。
うれしく思うか、あるいは迷惑至極と感じるかは、
ここでは言い及ばないが、
その父が、鼻髭を生やしていた。
それで、銀行の支店長としての威厳らしきものを示したのかもしれない。
髭にはそんな役割もあるだろう。
それで、「よし、この不精髭をうまく使ってみるか」と思い立ったのである。
まず、不精髭を小さな鋏を使って父と同じように鼻髭として整えてみた。
こりゃ、ダメだ。まったく似合わない。
自身を思い切り笑ってやった。さっさとそり落とす。
では顎か。ここならお洒落ポイントになるかもしれない。
剃刀で全体を整え、鋏で植木を剪定するように整えていった。
まずまずか、と自らを納得させ、それから8年間ほども、
そこにそれがあるのが当たり前として過ごしてきたのだ。
だが、このところ顎髭が洒落でも何でもなくなってきたように思えて仕方がない。
むしろ、年老いてきたことを強調するかのような存在となり、少々うっとうしい。
おまけにコロナによってマスクを着けることが多いから、
それに隠れてしまうのでは、その存在感を示すこともできない。

いつの間にか、剃刀が手にあった。「お し ま い DEATH!」