やはり体のあちこちが傷んでくる。
「あ~、年は取りたくないものだ」と長嘆息しても、
こればかりはどうにもならない。
時と共に細胞は再生する力を失っていき、劣化していく。
医者の力、あるいは薬によって、その痛みを和らげることはできても、
細胞の劣化を止める力は授かっていない。

おまけに今年は2度の手術で体力を使い、めっきり弱ったような気がする。
臀部や大腿部の筋肉もげっそり落ちた。
5年ほど前までは、自分はこんなみすぼらしい姿になることはない、
他人様の話だと思っていたのに、いやはやである。
周りにも腰・膝痛などに悩まされている人たちがたくさんいる。
「年寄り病ですたい」と、長年の〝勤続疲労〟がもたらす必然を
半ば笑ってはいるが、その実「年は取りたくないものだ」との
心中の嘆きがある。
妻も膝を痛め、病院通いを続けており、歩く姿はやはり痛々しい。
妻にしても「私がこんなになるとは……。情けない」と恨めし気だ。
それでも、気力を奮い立たせてビッコを引きながらも
趣味の写真撮影へと出かけていく。

僕ら高齢者にとり厄介なのは、いったん体のどこかを痛めると、
そこから立ち上がろうとする気力を失っていくことだ。
つまり心が折れる。諦めが先に立つようになってくる。
家に閉じこもりがちになり、やがて寝た切りといったことになりがちだ。
実は、2度の手術後の疲労感はこれまで経験したこともないほどで、
とにかく横になっていたかった。それほどきつかった。
「もう立ち上がれないかもしれない」そんな思いさえも……。
そんな哀れな僕を立ち上がらせたのは、やはり妻だった。
「さあ、ウォーキングへ行くよ」と外へ引っ張り出したのだ。
「いやいや、そんな元気はないよ」と思ったものの、
妻はそれを許さなかった。
仕方なく、妻の後ろをとぼとぼとついて行ったのだが、
そんな半強制的ウォーキングを毎日続けていたら、
徐々に体に力が戻ってきたのだ。
体調が回復すると気力も持ち直す。お陰で心が折れずに済んだのである。
ただ、ただ妻に感謝。今度は僕が膝痛に悩む妻をいたわることにしよう。