憎々しくも12日からずっと雨が続いている。
あの最近よく聞く線状降水帯のせいだ。
15日にいったん雨はやみ、秋空らしい晴天となったので
近くを流れる御笠川へいつものように
ウォーキングへ出かけたりもしたのだが、
そんな晴れ間も1日限り。16日にはまた降り出した。

この晴れ間も15日だけだった
すでに福岡県南部の久留米市や、
お隣の佐賀県武雄市、嬉野市などでは
川の氾濫により浸水被害が多数出ており、
今後も予想される雨模様が心配だ。
幸い我が家周辺は、今のところ無事に過ごせているのだが、
油断できない。
何せ2003年7月19日の豪雨では御笠川が氾濫し、
近くに建つマンション一階の我が家も
床上浸水の惨事に見舞われた。
福岡市の10日間予報はずっと傘マークがついており、
気の休まらない日が続きそうだ。
一方でテレビは、コロナの急激な感染拡大を伝える。
福岡県もまたまた緊急事態宣言されるという。
まさに大雨とコロナの両攻めだ。
鬱陶しさは少々どころでなくなってきた。
なんとかならないものか。

69年ぶりの甲子園勝利─長崎商
この鬱陶しさから逃れるすべを、
前川清ではないが「探し探し求めて」いたところ、
郷里・長崎県代表の長崎商が、
69年ぶりの甲子園勝利という嬉しいニュースだ。
生まれ育った地への思い入れは、いまなおであり、
「やった、やった」は当然のことだ。
実はこの長崎商、大正14年夏に初出場して以降、
夏8回、春2回出場しており、
1952年の夏の大会ではベスト4にまでなっている。
今度が5年ぶりの出場なのだが、
そのベスト4になった1952年以来の勝利なのである。
この長崎商ほどではないが、
我が母校・長崎西も夏3回、春1回出場し、
1951年春の大会ではベスト4になっている。
そうすると、1951年春には長崎西が、1952年夏には長崎商が、
それぞれベスト4になっているということか。
まったく記憶はないが、1951、52年というのは、
長崎県の高校球界は大いに盛り上がったことだろう。
ついでに言えば、2006年春に準優勝、
2009年春には見事優勝しているのが清峰高だ。
我が長崎県もやる時はやるのである。
長崎商にもこの鬱陶しさを吹き飛ばしてくれる
快進撃を大いに期待したい。頼むよ!