Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

たばこ遍歴

2022年06月24日 14時22分57秒 | エッセイ


誰もいない、はず。が、もう一度部屋中を見回す。
この家の中学3年生、15歳の男の子が
ちょっとした〝悪事〟を働こうとしているのだ。
居間の片隅に置かれている火鉢、
その中に突っ立っている父親の吸いさしを狙っている。
父も母も、姉も出かけていることを確かめ、
「よし」と意を決して盗み取った。

      

台所から持ってきたマッチをする。
咥えたたばこに火をつける。
すーっと吸い込む。
と、途端にむせた。「ごほ、ごほ、ごほ」咳が止まらない。
涙も出てくる。
罰を受けたような気分であわてて火鉢に戻した。
いたずら盛りの、ちょっとした冒険心であり、
一吸いだけの〝悪事〟が僕のたばこの喫い初めであった。

そんな、ろくでもないたばこに、なぜ取りつかれてしまったのか。
一つには「たばこは大人の証し」と見えたからである。
実際、ほとんどの大人が喫っていた。
「大人には、たばこは当たり前のこと」と思えば、
なんのためらいもなかった。
たばこ代も自分で稼ぐ。日に1箱20本は普通で、
さらに仕事で緊張を強いられた時、
あるいはテンション高く楽しみたい酒の席などでは、
2箱40本が灰となって消えた。
〝百害あって一利なし〟とばかりに喧伝され、
大っぴらに喫える場所さえ限られてしまった今日とは大違いで、
オフィス内でも堂々と喫えた、
喫煙者にとっては実に良き時代だったのである。

     

だが、その〝中毒性〟ゆえに長年喫い続けることになる。
すると、やはり「百害……」が現実のものになってくる。
しかも年を重ねるごとに、そのダメージは大きくなる。
歯磨き時の吐き気など、あれやこれや不快感が増すばかり。
それで、「よしっ」と禁煙に挑戦してはみても、
やはり〝中毒性〟は難敵で日を置かず失敗する、
それの繰り返しだった。

そんな僕に有無を言わさぬ口調でとどめを刺したのが、
かかりつけの女医さんだった。 
「血圧は高いし、不整脈も出ている。
それなのにたばこですか。おやめなさい」
誓約書を書かされ、薬を渡された。
さらに、ちゃんと禁煙しているかどうか定期的にチェックされる。
そんな苦行を1カ月ほど続け、なんとか禁煙に成功したのだった。

あれから11、2年である。
それでも、その誘惑はいまだに悩ましい。
どこからか漂ってくる香りが、後悔交じりの思いにさせる。
だが、「プライドが許さない」そう粋がるほどに余裕しゃくしゃく、
その実、半ば恨めし気に誘惑をはねつけるのである。