Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

野球少年の矢のような送球

2022年07月28日 08時25分48秒 | エッセイ


ショートへの強烈なゴロを軽快にさばき、
まるでソフトバンクホークスの今宮健太選手みたいに
一塁へ矢のような送球をする
——寝つきの悪い夜、羊の数を数えたりはしない。
夢うつつの中で自らを名遊撃手に仕立て上げると、
いつの間にか心地良く寝入っている。

スポーツの中で何が一番好きかと問われれば、
ためらうことなく野球だと答える。
中学1年生の2学期から大学を卒業するまで10年近く
打ち込んだ器械体操には相済まないことだと思いもするのだが、
それでも野球少年だった頃に染み込んだ
このスポーツへの愛着心は隠しようがない。

    

社会人になると、床の上で宙返りをしたり、
鉄棒をぐるぐる回ることはなくなったが、
再び野球が、それはソフトボールという形ではあったが、
野球少年の心を呼び覚ますことになった。
社内の、あるいは町内会の親善ソフトボール大会などに駆り出され、
バットとグローブの感触を蘇らせたのである。

町内会にソフトボールチームを作ることになると、
そのメンバーの1人として加わった。
確かチーム最年長の40歳だったと思う。
周りを見れば20歳も年下といったばりばりの若者たちばかり。
打球の強さも、足の速さもとうてい及びはしなかったが、
それでも練習も試合も楽しくて仕方なかった。
やがて町内会のチームは自然解散したものの、
今度は地域のクラブチームに入りプレーを続けた。
ここでも最年長だったが、二塁、あるいは一塁のポジションを
しっかり守り抜くことが出来た。

だが、身体能力の衰えは如何ともしがたい。
20歳代の若者相手では少々荷が重すぎるようになった。
しかも危険だ。彼らの速い打球に反応できず、
顔面を直撃する恐れもある。
引退したのは62歳だった。
その際、未練を残さないようにとバットもグローブも処分した。
まるで、別れた女性の写真を細かく千切り、
さざ波にそっと流すように……。

     

あれから20年近く、ボールを打ち、投げるのは
寝つきの悪い夜、夢うつつの中だけのことになった。
そして、今度はテレビの名解説者となって
MLBで大活躍中の大谷翔平君を我がことのように話し、
いつの間にか自らが大谷君になり切ってしまうのである。
80歳の誕生日を迎えた今も、大谷君の姿を借りて
好プレーを連発する日々だ。
あつかましいにもほどがあると苦笑しつつ
今日も打席に、マウンドに向かう。