Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

腕時計の傷

2023年02月11日 06時00分00秒 | エッセイ


この腕時計は、ガラスやメタルのベルトに随分と擦り傷がある。
刻んできた時間に相応する痛みであろう。
大した時計ではない。数千円のカシオ製である。
時間と日を表示するだけ、他には何の機能も付いていない。
狂うことなく本来の役目はきちんと果たしているから、
難癖をつけることはないのだが、
デザインはシンプル、と言うより野暮ったく、
時計店のショーウインドーをのぞき込んでも、
おそらく目は素通りしてしまうだろう。
ファッション性の欠片もないのでは、目も、心もひきつけない。
12年前に亡くなった長兄の形見で、義姉がそっと渡してくれた。
以降、ほぼこれを着けている。

13歳も離れているのだから、
一緒に遊ぶなんてことはもちろんなかったし、
何かをまじめに語り合った記憶もない。
兄弟だと言っても何だか遠い存在だった。
性格も兄はどちらかというと重苦しく、
対する僕は軽薄に近いという対照である。
それに、兄のファッションセンスは、
それを問うこと自体がナンセンスと言ってよい。
この時計はまさに、「兄にそっくり」なのである。
そして、この兄とは性格は違うと思っていたが、
実は似たところがいくつもあることに気付かされる。
たとえば、『ものを書く』『歌う』というのは、2人に共通する。
文学青年気取りの兄は、詩を詠み、
小説らしきものを書いたりした。
そうとあってか、僕が新聞社に入ったのを誰よりも喜んでくれたし、
僕の書いた記事を見つけ、
照れ臭くなるほど褒めてくれたのも、この兄だった。



歌も上手かった。
NHKののど自慢大会の常連で、
もう一歩で全国大会出場というところまで何度も行った。
伊藤久男の『イヨマンテの夜』から
カンツォーネの『オー・ソレ・ミオ』まで、
レパートリーも幅広く、声は伸びやかだった。
僕も70歳から歌のレッスンに通い始め、
もう10回以上ライブハウスのステージに立っている。
兄はまさに正統派の歌い方、
僕はと言えば音符も読めず、
ただメロディーを追いかけているだけで、
その上手さにおいて兄の足元にも及ばない。

目をやると、10時47分を指している。
「そろそろ寝る時間だろう」耳元で兄の声がしたような……
「あと5分待って」そうつぶやきながら、これを書き上げた。