滋賀県の『膳所』という地名を、
あるいは高英男の『雪の降る街を』との曲名を聞けば、
この人が思い浮かぶ。
高校生の時の片思い相手である。
80歳にもなって、こんな話を語るのは多少気恥ずかしいことであるが、
思い出というのは何かのキーワードによって
ふいっと呼び覚まされることがあり、
時に切なく、時に心を温めてくれるものである。
昨秋、京都から滋賀県の近江八幡市へと足を延ばし、
水郷めぐりを楽しんだ際のことである。
滋賀県は初めて訪ねる地だったから、
近江八幡市というのはどのあたりになるのか、
地図で確かめていたら『膳所』という地名に気が行った。
あの片思いの人へとつながるキーワードだった。
その地名は大津市にあった。
小学校から大学まで通して最も空疎と言える学校生活だったのは、
高校生の時だったろう。
そのせいか、今でも名前まで思い出せる友人はたった一人しかいなく、
喜怒哀楽を乗せた思い出はさっぱり思い浮かばない。
そんな中で、まさにポツンと彩った一輪の花とも言うべき人だった。
ただ、一言たりと交わしたことはなく、
通学のバスで、また校内で見かけては
「いいなあ」と勝手に思い込んでいたにすぎない。
彼女は高校生ながら地元のラジオ局でパーソナリティーを務めていた。
リスナーからのリクエスト曲を流し、
合間にいろんな話題を思いつくままに語る、よくある番組だった。
そのことを校内で耳にしてからというもの、
その時間はラジオの前を動かなかった。
そして、リクエスト曲をハガキに書いて送る、
それも僕にとって当然のことだった。
あるはずもないことだと分かってはいた。
でも、名前を目に止め、心に留めてほしかった。
当時の僕にとり最も身近にいた歌手はエルビス・プレスリーであり、
リクエスト曲もそうすべきだったのだろうが、
プレスリーなんて書くと「品のない不良少年かもしれない」
なんて彼女に蔑まれるのではないかと恐れた。
では何にするか。考えあぐねた末が高英男の『雪の降る街を』だったのだ。
とても、17、8歳の子が聞くような歌ではなかったが、
少しでも大人っぽく見てほしいとの思いから、
自分では聞いてもいないのに兄たちが聞き、口ずさんでいたものの中から、
この歌を選んだのだった
詮無いことと分かってはいた。
やはり『雪の降る街を』が流れることはなく、
そして彼女自身も学校から、ラジオ局から去っていった。
一輪の花さえ失くした僕の空疎な学校生活はさらに続いた。
そんな時、教室の片隅で彼女の消息を語る声を聞いた。
「滋賀県の膳所高に転校したってさ」
以来、『膳所』という地名が僕の中から消えることなく、
潜み続けていたのである。
とは言っても、もう彼女のことは名前は思い出せても、
顔さえ定かではなくなっている。
ほの苦いような青春時代の思い出というのは、
その断片が案外と長く生き続け、余生を楽しませてくれるからいとおしい。