景観規制の為に、東京の自宅は、結局、我が儘を通して、2階建てに屋上を付けた。空を仰ぎ見る為である。都会の開けた上空の視界は、空だけである。時々、鳩や、カラスや、鴨が、風に、押し流されそうになりながら、飛んで行く。一番多く見かけるのは、何と、ヘリコプターと飛行機である。一方、小諸のベランダから仰ぎ見る空は、雲がゆっくり流れては、又、来て、或いは、ツバメが行き交い、時として、鳶が、ピーヒョロ・ピーヒョロと鳴きながら、つがいの2羽が、弧を描きながら、天空高く、舞い揚がってゆく。まるで、戦闘機のように、すごいスピードで、大きな鬼ヤンマとおぼしきトンボが、虫を追いかけてか、視界を左から右へと、横切って行く。存外、数多くの甲虫の類とおぼしき小さな虫達が、一生懸命、羽を羽ばたかせて、樹から樹へと、飛び移っていく。松の尖った枝葉は、陽の光の陰影で、色鮮やかな緑や、深緑色の黒ずんだ緑色に、変化していく。桜の葉は、もう、既に、秋を感じているのであろうか、一部が、赤や黄色に、紅葉を始めている。コナラの木の葉は、未だ、秋の紅葉を準備中で、小さなドングリの実を付けている。晩秋を彩る紅葉の葉は、未だ、青い。木の葉を渡る風は、静かに梢を揺らし、その葉を通して、空の雲を眺める。知らず知らずのうちに天気や季節の移ろいというものが、昔の人のように、自然と、分かってくる。来し方行く末を思い、空を仰ぎ見るようになると、又、人生、仕事とは別の視界、別の眺めが見えてくるようである。
徒然なるままに、雲の湧いては、流れゆく様を見つめ、
赤松の梢の葉先の陰影を愉しむ、
一枚の桜の葉は、早秋の魁を暗示する、
木の葉を渡る風は、来し方、行く末に、思いを馳せる。
徒然なるままに、雲の湧いては、流れゆく様を見つめ、
赤松の梢の葉先の陰影を愉しむ、
一枚の桜の葉は、早秋の魁を暗示する、
木の葉を渡る風は、来し方、行く末に、思いを馳せる。