小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

吉村 昭著「三陸海岸大津波」を読む=記録する強い意思と伝承することの難しさ

2011年10月14日 | 書評・絵本
緻密な足によるフィールド・ワークと事実を徹底して記録する強い意志は、今から、30年も前に、書かれた本でありながら、その輝きを決して、今日でも失っていなし、むしろ、今日だからこそ、価値が高まっているのではないだろうか?5年前に、物故した著者が、今でも生きていたら、今回の「三陸海岸大津波」を、どのように、評したであろうか?或いは、又、どんな著作を著したであろうか?全く、皮肉なものである。明治29年(1896年)と謂えば、私の父方の祖母が、明治25年生まれだから、未だ、祖母が、4歳ころの大津波襲来の話である。日清戦争講和の翌年である。そして、安政3年の津波、昭和8年(1933年)の再度の大津波、昭和35年(1960年)のチリ地震大津波を、比較検討している。前兆という物は,どうやら、必ずしも、一定の共通パターンがあるものではないことが、改めて、認識される。急に、大豊漁に沸いたり、海岸が、沖合1キロ先にも及んで、干え上がったり、井戸水の水位が、急激に下がったり、海上で、狐火のような青白い発光体が突然、生じたり、大砲のような大きな轟音が響き渡ったりと、或いは、チリ地震大津波のように、「のっこ、のっこ」、と「よだ」は、やってきたという。今回も、又、壊滅的な損害を被った「田老」地区には、「津波太郎」という名前がつけられた程、その防災意識は優れ、高台移転や、防災訓練、鉄壁と想われる程の巨大な防潮堤を構築したが、やがて、慢心と、過信とにより、又しても、今時の災害に至ってしまったのは周知の事実である。「災害時の行動心理分析」を聴くにつけ、「弱者を助けたい」という人間の心情や、「自分にとっては、絶対に、あり得ない最悪の事態であるとは信じたくない」、そういう心理が、今回の被害を大きくした一因であることは、否めないであろう。更に、詳細な「災害時の行動心理学的な分析」が待たれるし、一般に、広く、公開、周知、教育・訓練されねばならない。被害者の伝承や、作文に、書かれていることは、全く、今回でも、同じことが、起こっており、何故、きっちりと、伝承され、意識付けだけでは無くて、実際の避難行動に、継承されて行かないのであろうか?勿論、キチンと継承してきた一部の人々は、幸運にも、難を免れたようであるが、、、、、、。その意味で、記録しようとするその強い意志は、連絡手段の乏しかった明治時代ですら、必死に、書物に、記録に、人々は、残していたことを忘れてはならない。そして、それを記録しようとする著者の30年前の強い意志にも、感銘を受ける。それにしても、人間とは、30年や、40年そこらで、貴重な体験すら、安易に、忘却の彼方へと、誘われてしまう存在なのか?事故も、災害も、そして、戦争も然りである。