小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

一寸、気になるCM:

2013年03月12日 | 映画・テレビ批評
一寸、気になるCM:
軽自動車のCMで、裁判陳述風の設定の中で、役所広司が、鈴木京香を証人質問の中で、九官鳥を担ぎ出して、運転中の静かさを訴える設定場面で、「九ちゃんは、鳥ではありません。家族です!」と云うと、九官鳥がすかさず、「そういう時代よねぇ!」と、応えるシーンがある。何故か、私には、この「そういう時代よねぇ!」と言う言葉が、重く、のし掛かるように、自問自答してしまう。本当に、「そういう時代」なのか?と、別に、ペットが、家族であると云うことを、否定するわけではないである。我が家にも、満18歳になる、家族同様の老犬が一緒にいるから、、、、。むしろ、「そういう時代よねぇ!」と、済まされてしまうことのほうが、怖いのである。何でもかんでも、「そういう時代よねぇ!」という一言で、時流に、贖えずに、大衆迎合とは謂わぬが、何気なしに、そういう時代なのかと、変に納得してしまう自分が、或いは、知らず知らずのうちに、「納得させられてしまう」ようなそういう世間の風潮や、自分自身の受け身のだらしなさに、何とも言えぬ虚しさを、この言葉の裏には、どういう訳か、感じてしまう。特に、この言葉が、まだ若い人達から、年寄りに向けて鋭く放たれた瞬間には、何故か、反論の余地のない、思わず身も縮こまるような、そんな寒々しい響きが、最後のフレーズである「、、、、よねぇ!」に、「駄目押しされている」ような感じがしてならない。きっと、時代が大きく移り変わるときに、その変化に対応できないようなときには、幕末でも、明治でも、戦後でも、そして、今でも、尚、時代に対応できない人間には、「そういう時代よねぇ!」と言う言葉は、きっと、水戸黄門の印籠を突き出されたときのような感じがするのではないだろうか?ウゥーンと唸ってしまうのは、何故だろうか?しかも、九官鳥に云われてしまうところが、何とも、寂しいではないか、、、、、。そういう時代だから、やはり、軽自動車の燃費に良い、静かな、車に、替え買えるべきなのでしょうかねぇー?!「そういう時代よねぇ!」が、耳の奧底に、何故か、残ってしまう。