小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

富裕層増税に考える:

2013年03月16日 | 社会戯評
富裕層増税に考える:
「貧富の格差の是正」や「富の公平な配分」という社会正義的な大義と、「富裕層への増税の是非」の議論は、今や、世界的にも、ホットになりつつある。単に、自分自身の自己責任のもとで、自らの才覚と努力で、獲得した富を、国家が、税金という形で、徴収、(それとも、収奪?)することは、許されるのであろうか?何とも、先頃、議論のあったところの「国富論」いや、「新・国富論」、(酷負論ではない)ではないが、富というものに対する私達の考え方も、随分と、アダム・スミスが描いていた時代のそれとは、変わりつつあるような気がしてならない。中国やロシアなどは、極端なのかも知れないが、少なくとも、フランスの映画俳優が、ロシア国籍を取得するとか、米国の著名な投資家であり、且つ、篤志家(?)とも謂われているウォーレン・バフェット氏らが、或いは、既に、外国に移住している一部の日本のファンド・マネージャー(もっとも、損失を与えた人達から、逃げていると云った方が妥当かも知れないが、、、、)それらの人達の考え方にも、色々な見方があるようである。どうも、日本は、中間層が分厚く政策的にも、創出されてきたので、「税」に対する公平感は、若干、外国とは、若干、異なり、そのオンブズマン的な監視体制や、余程、毎年、確定申告でもしない限り、支払った税金に対する使い途も、しっかりと、追うことはないのかも知れない。やはり、「年貢」という感覚なのだろうか?確かに、「期待されるべき社会像」(そう言えば、その昔、「期待されるべき人間像」なるものの白熱した議論があった時代を懐かしく想い出されるが)を、しっかり、議論することなく、或いは、コンセンサスを経ることなく、只、「増税」というのでは、議論は進まないであろうし、ますます、国を超えて、税金の安い国へと、金持ちは、移住し、日本を後にして、出て行ってしまうかも知れません。残るのは、置き去りにされた貧乏人と年金に頼る年寄りだけという構図では、困ってしまう。カネは、より居心地の良いところへと、磁石のように、吸い寄せられ、集まりますよね。どんな風に、生きて行ける社会なのか?何を公平に出来るのか?そもそも、「富を公平にする」ことなど、出来ない(?)以上、、、、、。「各人の尊厳が持てる社会」、どうも、憲法に書かれている理念みたいで、学者や官僚の作文は、よく分からないものである。孫への贈与税の改訂も、どれ程の人数の人が、そんな高額なお金を贈与できるのでしょうかね、サラリーマンの生涯獲得給与総額から、想像してみても、何とも、複雑な心境ですね。富裕層の人達も、社会貢献に、協力する風潮に、是非、載って貰いたいと思うが、、、、、。バフェットほどにもなると、流石に、「篤志家」という肩書きがつくのには、驚かされる。今日は、支離滅裂になってしまいました。別の機会に、改めて、再考してみたいと思います。まぁ、自分は、関係無いから、その必要も無いかとも、、、、、。