小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

さとり世代浸透中とは!?:

2013年03月19日 | 社会戯評
さとり世代浸透中とは!?:
世田谷市長である保坂展人氏は就任後、ツイッターやフェースブックでの情報発信を毎日の如く、積極的に、行なっていて、大変、エネルギッシュな首長である。社民党の衆議院議員を目指して、小選挙区制の中で、埋もれていてはもったいないと思っていたが、まさに、水を得た魚の如く、電力の小売り自由化の試行錯誤的な実験にしても、前向きに、行おうとしている姿勢には、フォロアーとして、目が離せないものがある。もっとも、私は、残念乍ら、世田谷区民ではなくて、お隣の区民であるが、、、、。
そんな中、一寸、気になる同氏のツイッターでのつぶやきがあった。「さとり世代浸透中--車に乗らない、恋愛は淡白、ブランド服も欲しくない、酒は飲まない、旅行しない…」は、元日経新聞記者だった故山岡拓さんの「欲しがらない若者たち」を紹介している。長期不況・デフレ時代に消費衝動を刺激する成長モデルとは無縁の心象風景だ。という内容である。
確かに、こういう傾向は、うすうす、気が付いていたが、所謂、「ハングリー」精神なるものが、いや、ギラギラした獣みたいな若者が、見られなくなってしまったのか、映画、「天国と地獄」に出てきた犯人役を演じた無名の頃の俳優、山﨑努の若者のような感じが、俳優の世界でも、現実の世界でも、見られなくなったが、どうしたものであろうか?我々、団塊の世代が、未だ、若かった頃には、ノンセクト・ラディカルでも、ノンポリでも、お互いの主義主張を赤裸々に、語り合い、罵りあっては、自己主張を繰り返し、果ては、殴り合い、酒も痛飲したし、若さ故、無分別な、今では、云えないようなこともしでかしたものであるが、、、、、。そういうモチベーションやヶ押すの中から何かが出てくるということが、今の時代では、無くなってしまったのであろうか?これが、本当の成熟化とか、悟り(?)という言葉が、当てはまる物とも思えないが、、、、。飽くまでも、それは、デフレ・スパイラルによる負の経済のなすところの副産物のような気がしてならないものの、昔は、「何でも見てやろう」式に、治安の宜しくないところへも、結構、今で云うところのバックパッカー・スタイルの無銭旅行(i Pad片手の無線旅行ではない)で、放浪の旅に、或いは、「書を棄てて街を出でよ」等、変な分別などとは無縁な、人生の予定も、計画もないような若者の旅に、出たものであるし、それが、若者の唯一、占有する特権であると考えていたものである。そうかといって、成長路線の昔に、復古するようなモチベーションであってはならないであろう。飽くまでも、それは、若者自身が、もっとも、若者といっても、今や、中年にまでも、その幅が拡がっているようにも思えるが、、、「一身独立して、、、、、」では無いが、独自のモチベーションを創造してゆかなければ、全く、意味がないであろうし、九官鳥に、「さとり世代浸透中。そういう時代よねぇ!」と、云われかねないのではないか。及ばずながら、若者を後押しできる年寄り世代に、なりたいものであるし、そういう組織的な後ろ盾が、必要ではなかろうかとも思う。