東京では、ゲリラ豪雨の時には、ものすごい雷が鳴ることがあるが、、、、ここ、信州の山中(?)では、晴天でも、突然、一転、にわかに天がかき曇り、突然、頭上から、閃光とともに、爆撃でも、行われたかの如き轟音とともに、駆け抜けて行く。山歩きのストックを持って、散歩していた人は、慌てて、足早に、急に、走り去っていった。万葉の昔の人は、雷のことを、畏敬と畏怖の念を持って、「厳(いか)つ霊(ち)=いかずち」と呼称したが、確かに、ここでは、「納得」である! 私ですら、「何故、そんなに、天は怒っているのか?」と思ってしまう程である。その雨も、尋常な雨ではない。ポツポツと、小さな雨粒が、落ちてきたかと思いきや、雨煙とおぼしき大粒の雨が、そこかしこを、ベランダを、コンクリートを、樹木にも、容赦なく、ひとつの例外なく、叩きつける。そこまでする必要があるのかと思う程である。そんな時も、断続的に、「いかずち」は、雷鳴を轟かせながら、まるで、「空翔る竜」の如く、天空を、転がるように、駆け抜けて行く。その後には、冷たい空気と真っ青な空が,残されていた。
男の子は、誰でも、無条件で、カブトムシが、大好きである。幾つになっても?子供達が、小さい頃、夏休みに、夜中に、眠い目をこすりながら、懐中電灯と虫かごをぶら下げて、テニス・コートの傍らの街路灯に、群がるカブトムシやクワガタを取りに行ったものである。ホーム・センターで、買ってきた飼育キットを、育てたら、見事に、立派な大きなオスのカブトムシが、サナギに、変身した後、土の中から、這い出してきた。大きかったので、子供達は、大(おう)ちゃんと名付けて、かわいがっていた。一人では、淋しかろうと、自然界に、育ったメスを、一緒に、大きな箱の中に、入れて、飼って観察していたら、何と、夏の終わり頃に、卵を産んだ。驚いたことに、翌年の夏、それは、無事、冬も、越して、サナギを経て、その子供が、誕生した。そして、その翌年も、又、同じことを繰り返し、3回ほど、「大(おう)ちゃん」の世代交代が、繰り返された。今では、そのお墓は、駐車場のコンクリートの下に、なってしまったが、夏に、カブトムシの飼育キットを見る度に、こうした思い出が、懐かしく想い起こされる。
成程、面白い名前を付けたものである。確かに、金の糸のような繊維質たっぷりのかぼちゃ(瓜の形)である。信州の産直で、何年か前に、おばあさんの販売員から、説明を受けて、食してみた。料理の作り方も、その時に、教わった。それ以来、躊躇している東京のお客さんには、必ず、勧めることにしている。何せ、安いし、繊維質豊富なのである。半分に割って、蒸し、冷却後、中綿、種を除去して、スプーンで、柔らかくなった身の部分を、ほじくり出すと、まるで、そうめんのように、連なって簡単に、とれる。皮一枚だけ残して、、、、歩留まりが大変良い。しかも、小ぶりのものでも、大きいボール1杯分は、とれる。これをマヨネーズと魚肉ソーセージとキューリで、ポテト・サラダの要領で、かき混ぜると、確かに、食感は、微妙に異なるが、ポテト・サラダのようなものである。酢の物でも、うまいらしい。信州に来ると、ズッキーニとそうめんかぼちゃが、毎日、欠かせない食卓の一品である。是非、お試しあれ!
=信州プロレス恐るべし=ローカル・インディーズの挑戦に敬服す
「私、プロレスの味方です」という本によって、世の中には、隠れプロレス・ファンが、意外と多いことを知ったが、私は、母の代からの筋金入りのプロレス・ファンを自認している。もっとも、日本では、これまで、実際に、プロレスを見たことがなく、唯一、LAに駐在していたときに、未だ、アンドレ・ザ・ジャイアントが、存命中の時に、一度、試合を見ただけである。もっとも、アンドレとは、その後、赤坂プリンス・ホテルで、外人のバイヤーと会談する際に、エレベーターで、やたら体だけではなく、頭のでかい人間が、扉から、突然、飛び出してきたのに、ぶつかり、ビックリした思い出があるが、、、。又、SFで、マクガイアヤー・ブラザーズの片割れが、見世物小屋の前で、ゴム風船のような巨体をデニムのオーバーロールに包んで、座っているのに、話しかけたことがある。それはさておき、ストロング・プロレスのファンである私が、たまたま、上田のショッピングセンターのオープニング・イベントの一環で、無料で、開催されるというのに、目が引かれて、SCのマーケット・リサーチ名目で、余り、期待もせずに、最前列に、陣取り、物見遊山に出掛けた。武藤のグレート・ムタを、もじった(グレート・無茶)とか、タイガー・ジェット・シンを揶揄した(タイガーチョッとシン)とか、(セカンド篠塚)など、赤塚不二夫張りのナンセンス・ギャグ風のネーミング、そして、何より、この団体のコンセプト、即ち、「無理せず、怪我せず、打ち合わせ通りに、雨天打ち合わせ」という何ともプロらしからぬプロ根性(?)が、気に入りました。又、着ぐるみを着た第1試合のレスラーが、第2試合には、レフリーに、変身したり、リング・アナウンサーに、変身したり、コスト・パーフォーマンスを最大に生かし、且つ、一人何役もこなす多機能工主義で、これにも、脱帽であった。むろん、レスリングの技も、多少、腹回りに、年齢からくる気のせいか知らぬが、脂肪がついているのは、御愛嬌としても、技自体は、決して、いい加減に、(多少、手を抜くというよりは、打ち合わせ通りで、怪我をせぬように、、、、)低いレベルではなかったように、思われる。(多少、褒めすぎだろうか?でも、チャンと、胸や尻には、チョップや、キックの跡が、赤く残っていた。)コーナー・ポストへ、ヒール役のレスラーの急所を股裂きで、グイグイ引っ張るときには、観客や子供達を参加させて、(私も、最前列で、目の前だったので、急遽、恥ずかしながら、参加したが、、、、)、なかなか、身近に、レスラーを感じられて、こういう体験型・参加型のエンターテイメント性は、とても、良かった。(そんなことは、当然、ストロング・プロレスには、期待できないが、、、、)選手の入場や、退場時でも、ハイ・タッチや、客席への乱入など、打ち合わせ通りに、エンターテイメント性も、十分、エンジョイ出来た。これが、1時間で、無料とは、誠に、申し訳ないが、Tシャツ等のグッズも買わずに、やっと間に合ったという次回試合のパンフレットをもらって、帰ってきたが、女子部もあるそうで、今後、昔の女子プロレスのビューティー・ペアーのように、ご当地アイドル宣伝隊等との歌謡ショウやダンス・パフォーマンスを取り入れてみたら、幅広い、老若男女から、子供・家族まで、取り込めるのではないだろうか?それにしても、経営的に、採算分岐点は、どのくらいなのか、支援企業スポンサーは、ついているのか等、1日にして、精神的サポーターになった私としては、心配になった。ニッチ・マーケティングで、ストロング・プロレスの市場を越える日が、いつか来ることを、願ってやまない。やはり、無理せず、怪我せず、打ち合わせ通りに、、、、、雨天決行ではなく、要検討でしょうか、、、、、。信州プロレスリング恐るべし!
「私、プロレスの味方です」という本によって、世の中には、隠れプロレス・ファンが、意外と多いことを知ったが、私は、母の代からの筋金入りのプロレス・ファンを自認している。もっとも、日本では、これまで、実際に、プロレスを見たことがなく、唯一、LAに駐在していたときに、未だ、アンドレ・ザ・ジャイアントが、存命中の時に、一度、試合を見ただけである。もっとも、アンドレとは、その後、赤坂プリンス・ホテルで、外人のバイヤーと会談する際に、エレベーターで、やたら体だけではなく、頭のでかい人間が、扉から、突然、飛び出してきたのに、ぶつかり、ビックリした思い出があるが、、、。又、SFで、マクガイアヤー・ブラザーズの片割れが、見世物小屋の前で、ゴム風船のような巨体をデニムのオーバーロールに包んで、座っているのに、話しかけたことがある。それはさておき、ストロング・プロレスのファンである私が、たまたま、上田のショッピングセンターのオープニング・イベントの一環で、無料で、開催されるというのに、目が引かれて、SCのマーケット・リサーチ名目で、余り、期待もせずに、最前列に、陣取り、物見遊山に出掛けた。武藤のグレート・ムタを、もじった(グレート・無茶)とか、タイガー・ジェット・シンを揶揄した(タイガーチョッとシン)とか、(セカンド篠塚)など、赤塚不二夫張りのナンセンス・ギャグ風のネーミング、そして、何より、この団体のコンセプト、即ち、「無理せず、怪我せず、打ち合わせ通りに、雨天打ち合わせ」という何ともプロらしからぬプロ根性(?)が、気に入りました。又、着ぐるみを着た第1試合のレスラーが、第2試合には、レフリーに、変身したり、リング・アナウンサーに、変身したり、コスト・パーフォーマンスを最大に生かし、且つ、一人何役もこなす多機能工主義で、これにも、脱帽であった。むろん、レスリングの技も、多少、腹回りに、年齢からくる気のせいか知らぬが、脂肪がついているのは、御愛嬌としても、技自体は、決して、いい加減に、(多少、手を抜くというよりは、打ち合わせ通りで、怪我をせぬように、、、、)低いレベルではなかったように、思われる。(多少、褒めすぎだろうか?でも、チャンと、胸や尻には、チョップや、キックの跡が、赤く残っていた。)コーナー・ポストへ、ヒール役のレスラーの急所を股裂きで、グイグイ引っ張るときには、観客や子供達を参加させて、(私も、最前列で、目の前だったので、急遽、恥ずかしながら、参加したが、、、、)、なかなか、身近に、レスラーを感じられて、こういう体験型・参加型のエンターテイメント性は、とても、良かった。(そんなことは、当然、ストロング・プロレスには、期待できないが、、、、)選手の入場や、退場時でも、ハイ・タッチや、客席への乱入など、打ち合わせ通りに、エンターテイメント性も、十分、エンジョイ出来た。これが、1時間で、無料とは、誠に、申し訳ないが、Tシャツ等のグッズも買わずに、やっと間に合ったという次回試合のパンフレットをもらって、帰ってきたが、女子部もあるそうで、今後、昔の女子プロレスのビューティー・ペアーのように、ご当地アイドル宣伝隊等との歌謡ショウやダンス・パフォーマンスを取り入れてみたら、幅広い、老若男女から、子供・家族まで、取り込めるのではないだろうか?それにしても、経営的に、採算分岐点は、どのくらいなのか、支援企業スポンサーは、ついているのか等、1日にして、精神的サポーターになった私としては、心配になった。ニッチ・マーケティングで、ストロング・プロレスの市場を越える日が、いつか来ることを、願ってやまない。やはり、無理せず、怪我せず、打ち合わせ通りに、、、、、雨天決行ではなく、要検討でしょうか、、、、、。信州プロレスリング恐るべし!
今では、GHQという言葉を知っている人が、少なくなっているかも知れない。ヨーロッパ戦線で、輝かしい勲功をあげ、ナチの強制収容所の解放に際して、その「非戦闘員」に対する残虐行為を目の当たりにした、このレバノン移民のGHQ司令官は、後に、長崎で、壮絶な破壊の爪痕を、凝視し、破壊し尽くされた教会の絵を、その死後、ナガサキで、生まれた長女(ナガサキで、昭和23年に生まれ、その地の教会で、洗礼を受けたナガサキ・ベビー)に、託すのである。又、犠牲者の慰霊祭にも参加したり、第一回長崎平和祈念式典の開催許可を、下したり、14歳の少女の手記の出版・公開にも、軍部の上層部へ、進言したりもした。むろん、その当時は、東京裁判の最中で、日本軍による中国人に対する「非戦闘員」への残虐行為を問えば、当然、米軍によるヒロシマ・ナガサキへの「原爆」の投下、「大空襲」も、政治的に、問われかねない情勢であり、結局、後年にならなければ、許可されなかった。どこかの国の元防衛相の「仕方ない」発言に、較べると、軍隊という組織の中で、軍律に違反することを恐れず、こうした行為を行ったことがあるという事実を、アメリカ人にも、又、日本人にも、広く、知らしめるべきである。「原爆の悲惨さを、改めて、アメリカ人にも、世界にも、もっと、知らしめよう」という彼の地を訪れた娘の発言に、我々、日本人は、これまで、どれ程のことをしてきたのであろうか?又、今は亡き父から、息子へのメッセージは、キチンと、伝えられたのであろうか?或いは、今度は、自分から、娘、息子へ、更には、未だ視ぬ孫達へ、伝えられるのであろうか?奇しくも、私も、彼女と同様に、昭和23年生まれであった。今、改めて、原発事故による放射能の問題が、取りざたされているが、このNHKドキュメンタリーは、我々に、再度、原点である「原爆」の悲惨さを問いかけているように、思えてならない。
朝・昼のみならず、夕食を食べていたときに、偶然、松の梢から、上弦の月が、ぼんやりと、すだれを通して、浮かび上がってきた。月に群雲ではないが、激しい雷雨の過ぎ去った後の空に、雲の隙間から、ひょっこりと、上弦の月が、出てきて、すだれを通して、その淡い光が、浮かび上がってきた。これも、又、「風流なもの」である。すだれの目の間には、未だ、雨粒が、残っていて、それが、微妙に、月の淡い光に、照らされて、一層、光の幽玄を増す。中秋の名月は、さぞや、趣のある情景になるであろうと、勝手に、想像してみる。すすきの穂は、未だ、早いが、その時には、団子でも添えて、お月見と洒落込もうか?と、、、、、、。
=すだれの「陰影」を愉しむを勧む=
東京では、すだれは、単なる日よけか、遮光の目的で、たまに、風でも通そうものなら、「ラッキー」等と、思うことが、しばしである。しかし、ここでは、朝陽に浴びた紅葉の葉が、梢を渡る風に、なびき、その度に、陰が、大きく、右に左に、揺れ動く、陽の光と影、更に、その陰影のグラデーションの繊細な移ろい、更に、風までもが、何とも、伸びやかに、自由に、自然に、萱の隙間を、通して、こちらに、涼しげな乾燥した空気を、運んできてくれる。日本人は、「障子」を発明したときに、その陽の陰影を、グラデーションを、巧みに、室内で、四季折々に、愉しもうとしたと謂われている。本当は、四季の「借景」も取り入れたいところだが、既製品のアルミサッシの窓では、そういう訳にもゆかぬが、せめても、すだれの陰影でも、愉しもうではないか?
東京では、すだれは、単なる日よけか、遮光の目的で、たまに、風でも通そうものなら、「ラッキー」等と、思うことが、しばしである。しかし、ここでは、朝陽に浴びた紅葉の葉が、梢を渡る風に、なびき、その度に、陰が、大きく、右に左に、揺れ動く、陽の光と影、更に、その陰影のグラデーションの繊細な移ろい、更に、風までもが、何とも、伸びやかに、自由に、自然に、萱の隙間を、通して、こちらに、涼しげな乾燥した空気を、運んできてくれる。日本人は、「障子」を発明したときに、その陽の陰影を、グラデーションを、巧みに、室内で、四季折々に、愉しもうとしたと謂われている。本当は、四季の「借景」も取り入れたいところだが、既製品のアルミサッシの窓では、そういう訳にもゆかぬが、せめても、すだれの陰影でも、愉しもうではないか?
未だ、熱気が冷めないうちに、読むと、どうしても、感情移入が激しくなりがちで、冷静に読めないので、暫くして、ほとぼりが冷めてから、一気に読んでみた。むろん、東日本大震災との比較、検証である。事前に、予兆としても地震が、かなりの頻度で観測されていたこと、又、その後にも、度重なる強い余震があったこと。安政大地震以来の「50年周期説」についての著名地震学者間での論争があったこと。大震災による火災の被害、とりわけ、薬品火災や、石油ランプに起因した火災が、大規模に、起こりうること、水道網が、壊滅することを、既に、想定していたこと。逆に、パニックを恐れた楽観論の意図的な世論の誘導・流布。避難する人達が、家財道具を持ち出し、それに、火が飛び移って、事態を悪化させたこと。陸軍被服敞跡(現、両国横網公園)での3度に亘る大火災による竜巻も、惨事を拡大させたこと。流言蜚語による無実の人間が、(朝鮮人を含めて、日本人ですら)自警団によって、殺戮されたこと、戒厳令下、流言の防止を目的とした言論統制による唯一のマス・メディアである新聞・報道・言論統制が強まり、ひいては、言論の自由が奪われ、甘粕憲兵隊大尉による大杉栄の虐殺にも、至ったこと。(もっとも、裏付けのない記事を、新聞も、公然と、扇動したのも事実であるが、、、、、。)今日とは異なり、複数のマス・メディア、携帯電話、ラジオ、ネットや、ツィッター、動画サイト、携帯電話のワンセグTVも無いような時代に、確かに、電話・電信網や、水道が、壊滅すれば、根拠のない流言蜚語(井戸に、毒を投じたとか、放火、強奪を集団でしているとか)を信じるなという方が、逆に、当時は、難しかったのかも知れないが、、、、、。地方への鉄道輸送の再開と同時に、流言蜚語が、急速に拡散していったことも、事実である。便所の汲み取りの符号を、殺戮や強盗の暗号と誤解したり、既に、官憲は、9月5日頃までには、それらが、全く、事実とは異なった、全く、根拠の無いことを認識していたのも、事実である。買い占めや売り惜しみが、当時実際あったこと。バラック同然の貧弱な仮設住宅(?)、糞尿処理の問題、遺体・身元不明人の火葬処理の問題、瓦礫・灰燼の処理の難しさ、感染症の広がりの問題、治安の悪化の問題、復興予算の問題、等、、、今回の東日本大震災にも、全く共通する事柄が、列挙されている。実際、津波による被害もあったが、今回の大津波による被害とは、較べるべくも無い。緊急地震速報も、当初は、馬鹿にしていたが、成程、実際に、使用されてみると、今後は、やはり、ある種の実際的な役に立つツールにあるであろう。父方の祖母は、私が幼い頃、「関東大震災の時、あなたのお父さんの手を引いて、隅田川へ、逃げたのよ」と言っていたが、父は、大正7年9月20日生まれだから、丁度、満5歳になる直前であったことになる。祖母は、明治25年生まれだから、30歳一寸の頃であった計算になる。もう、その祖母も、父も、亡くなってしまった。もっと、詳しく、色々と、きいておけばよかったと後悔している。一体、現在の我々と、「何が、違い」、「何が、共通していた」のか?そして、「何が、どうして、今回も、変えられなかったのか?」政治・経済・国際状況・報道姿勢、地震科学・通信技術等、各分野毎に、改めて、熟考、検証してみたい。そんなことは、既に、「想定内」では、無かったのか?と、、、、、、。放射能、原発も、延長線上で、冷静に、再考してみたいと思った。「過ちは、再び、繰り返しません」と、言えるように、、、、、。
=稲わら汚染牛に、想う=長女の誕生したその日
今から、30数余年も前のことである。女房が、臨月を迎えて、いよいよ、第一子が、誕生と言うときに、どういうわけか、その日は、芝浦の家畜現場の見学が、以前から、日程に入っていた。現場では、1頭のホルスタイン牛が、前足で、踏ん張り、くつわを引っ張っても、頑として、動こうとしない。本能的に、殺されることを、感じていたのだろう、作業員は、それとなく、近づくと、事務的に、間髪を入れずに、アッという間に、牛の眉間に、鉄のハンマーを振り下ろした。その瞬間、牛は、ドドッと、巨体を、前のめりに、四肢を、ヒクヒク、痙攣させながら、少し、もがいたが、すぐに、絶命した。すかさず、分業している他の作業員が、ナイフで、手際よく、腹を割いた。すると、その瞬間、何と、お腹から、1頭の仔牛が、勢いよく出てきたのである。解体作業手順を、その後、見学して、何とか、嘔吐もすること無く、無事、帰宅の途に、ついたのである。帰りに、入院している女房の病院を訪ねると、無地、長女を出産したことを確認出来た。稲わら汚染によって、手塩にかけた肉牛を、図らずも、処分せざるを得ない畜産家の心情も、又、本来、食用に供されるべく命を全うする筈であったとうの肉牛自身も、さぞや、無念であったに違いない。牛の写真を見る度に、長女誕生の日のことを想い起こす。「君は、牛の生まれ変わりなんだよ、きっと」と、物心ついた頃に、「午(うま)」歳生まれの長女に、言ったことがあるのを想い起こす。原爆記念日の前日だった。
今から、30数余年も前のことである。女房が、臨月を迎えて、いよいよ、第一子が、誕生と言うときに、どういうわけか、その日は、芝浦の家畜現場の見学が、以前から、日程に入っていた。現場では、1頭のホルスタイン牛が、前足で、踏ん張り、くつわを引っ張っても、頑として、動こうとしない。本能的に、殺されることを、感じていたのだろう、作業員は、それとなく、近づくと、事務的に、間髪を入れずに、アッという間に、牛の眉間に、鉄のハンマーを振り下ろした。その瞬間、牛は、ドドッと、巨体を、前のめりに、四肢を、ヒクヒク、痙攣させながら、少し、もがいたが、すぐに、絶命した。すかさず、分業している他の作業員が、ナイフで、手際よく、腹を割いた。すると、その瞬間、何と、お腹から、1頭の仔牛が、勢いよく出てきたのである。解体作業手順を、その後、見学して、何とか、嘔吐もすること無く、無事、帰宅の途に、ついたのである。帰りに、入院している女房の病院を訪ねると、無地、長女を出産したことを確認出来た。稲わら汚染によって、手塩にかけた肉牛を、図らずも、処分せざるを得ない畜産家の心情も、又、本来、食用に供されるべく命を全うする筈であったとうの肉牛自身も、さぞや、無念であったに違いない。牛の写真を見る度に、長女誕生の日のことを想い起こす。「君は、牛の生まれ変わりなんだよ、きっと」と、物心ついた頃に、「午(うま)」歳生まれの長女に、言ったことがあるのを想い起こす。原爆記念日の前日だった。
NHK BSプレミアムの再放送である。子供達が、未だ小さい頃、女房が、嫁入り道具で、持ってきたピアノを、子供の音感教育にと、わざと、左腕をつって、「今日は、お父さんは、左腕が、使えないから、右手一本で、演奏だ。」と言っては、十八番の「お馬の親子」や「ドレミッミ、ソラソッソ、ミレドレミ,,,,,」を弾いてきかせたものである。もっとも、今でも、左手は、むろんのこと、つったままであるが、、、、、。そのお陰であろうか、子供達は、ピアノが、両手で、上手に、弾けるようになった。絶対音感というものがあるらしい。聞いた音を、ピアノで、弾いて、表現出来るそうである。目で視てないのに、風景も、風すらも、音で、感じて、旋律にしてしまうらしい。らしいではなくて、実際、出来るのである。そうなのである。ご両親は、何事も、経験だと、スポーツも、旅行も、分け隔て無く、子供の時から、「体験」させたそうである。その決断も、教育方針も、素晴らしい。映画音楽も、創作したいという「夢」を、持っているそうである。情景が、音で、表現出来ると言うことか?人間は、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、)とりわけ、目から、ものの画像を確認し、耳から、聞こえてくるものを感じ取り、鼻で、臭いを嗅ぎ、更に、舌で味わい、皮膚で触れて、脳で認識し、言語を発する、或いは、手足の動作で、表現し、他社とのコミュニケーションに至るが、「心の目」を持ち合わせていないと物事が、どうも、見えてこないらしい。我々、現代の「開き盲達」は、いつも、他社とのコミュニケーションに悩み、自己表現が稚拙になり、想像力が、欠落してしまいがちであるが、音楽を通じて、「心の目」の存在を実感するのは、決して、難しいことでは、なさそうである。そうなると、音楽も、絵画も、文学も、俳句も、舞踊も、日常会話ですらも、「心の目」をもって、しっかりと、味合わねばならない。どうしたら、そういう目を、持てるのであろうか?どうしたら、そういう目を育てられるのであろうか?「ショパンの風の家」というメロディーは、どう聞けばよいのであろうか? You Tube : http://www.youtube.com/watch?v=PnUKpvTYg5U
晴天が続いたので、ベランダのパラソルをそのままにしていたら、開いたパラソルの傘に、松毛虫とおぼしき毛虫が、松から落ちてきたのか、ついて行き場をなくしていた。多少、嫌がらせが、ないではないが、どのようにして、パラソルの傘から、降りてくるのであろうかと、思って、そのままにしておいた。雨が、夜降り出し、翌日、パラソルを畳もうかと思い、松毛虫を探したが、見つからない。傘のひだの一つ一つをチェックしていたら、何と、松毛虫は、「さなぎ:繭」に、なっていました。色々なさなぎは、よく、冬場に見かけられるが、何と、繭になる適当な場所を探していたとは、、、、、。取りあえず、パラソルの傘は、外に、立てかけてある。慎重に、人差し指と親指で、つまんでみると、何やら、内部で、ある生命体が、ゴソゴソとうごめくのを感じた。どうやら、赤松の害虫であることは、分かっていたが、「蛾」の姿は、見たことがなかったので、「みんなが作る日本産蛾類図鑑」をネットで、調べ再確認してみると、170番に、和名:マツカレハ、学名:Dendrolimus spectabilisと言い、見たことのある蛾が、写真で、確認出来た。綺麗な「蛾」になる日は、いつのことであろうか?と期待するどころか、茶褐色の蛾で、害虫であることが、改めて、分かると、今度は、何とか、自分の手を汚さずに、自然に、鳥が食べてくれないものかと祈るばかりである。全く、人間とは、身勝手な生き物である。未だ、羽化には、間がありそうである。それにしても、随分と色々な蛾がいるものであるし、又、それを研究・趣味にしている人が多いのにも、ビックリした。因みに、サイトは、こちらです。http://www.jpmoth.org/ 因みに、蛾の種類が分からないときには、掲示板で、検索も可能なようである。http://www.jpmoth.org/f2bbs/ 余り、真剣に「蛾」を見ていたら、何故だか分からぬが、「羊たちの沈黙」の映画を想い出してしまった。一寸行きすぎか?
デフォルトが、回避されたと謂われているが、私には、時限爆弾の先送りとしか思えない。財政赤字の立て直しを本当に、増税なしに、米国は、(日本にも同じことが言えるが、、、)出来るのであろうか?ティーパーティーが、主張するように、小さな政府で、社会保障を切り下げたりして、可能なのであろうか?リーマン・ショックの時に、適切な判断が下せなかった米国格付け会社が、したり顔で、又、米国債の格付け下げを、結局行うのであろうか?私が、1972年に、輸出入貿易取引に関与始めてから、為替だけでも、308円、305円、280円、250円、200円、180円、とりわけ、200円になった時に、「180円でも、輸出は、大丈夫だ」と大手家電メーカーが豪語していたのを今でも、忘れられない。それからというもの、結局、つるべ落としのように、90円まで高騰し、その後、一時的な円安後、再び、円高と謂うよりも、ドル安の中で、円の独歩高が、進行し、今や、何と、76-77円の声には、驚かざるを得ない。一筋縄では行かない中国の狡猾な為替操作に、較べて、どこまで、為替介入が、可能になるのであろうか?1円為替が動くと、数百億円の損が出る大手会社は別にしても、中小企業は、デリバティブの先物取引で、更に、損金が膨らみそうである。決して、自分は、悲観論者ではないが、さすがに、ここまで来ると、FX証拠金取引に、規制が強化されたのとは裏腹に、成長するアジア通貨が追加され、(どうみても、公正・透明性が、疑わしい怪しい国際通貨を、加えられ、又しても、NDFの意味も分からず、訳の分からない素人の若いOLや、主婦や、年金暮らしの老人達が、ワン・クリックで、大損をすること、間違い無しであるが、、、)投機マネーさながらに、金融・為替市場を更に、混乱に、陥れる。原発の事故対策ではないが、ワースト・ケースのシナリオを、どこまで、描かれているのであろうか?又、どれ程、事前に、開示されているのであろうか?「自己責任」では、もはや、済まされないのではないか?「泥舟」から、逃れられる鼠は、まだ、よいが、逃れられない年老いた鼠は、どうなるのか?小松左京をもう一度、読み返すことにしようか?日本丸は、海図無き大海原を、彷徨い航海するのであろうか?
景観規制の為に、東京の自宅は、結局、我が儘を通して、2階建てに屋上を付けた。空を仰ぎ見る為である。都会の開けた上空の視界は、空だけである。時々、鳩や、カラスや、鴨が、風に、押し流されそうになりながら、飛んで行く。一番多く見かけるのは、何と、ヘリコプターと飛行機である。一方、小諸のベランダから仰ぎ見る空は、雲がゆっくり流れては、又、来て、或いは、ツバメが行き交い、時として、鳶が、ピーヒョロ・ピーヒョロと鳴きながら、つがいの2羽が、弧を描きながら、天空高く、舞い揚がってゆく。まるで、戦闘機のように、すごいスピードで、大きな鬼ヤンマとおぼしきトンボが、虫を追いかけてか、視界を左から右へと、横切って行く。存外、数多くの甲虫の類とおぼしき小さな虫達が、一生懸命、羽を羽ばたかせて、樹から樹へと、飛び移っていく。松の尖った枝葉は、陽の光の陰影で、色鮮やかな緑や、深緑色の黒ずんだ緑色に、変化していく。桜の葉は、もう、既に、秋を感じているのであろうか、一部が、赤や黄色に、紅葉を始めている。コナラの木の葉は、未だ、秋の紅葉を準備中で、小さなドングリの実を付けている。晩秋を彩る紅葉の葉は、未だ、青い。木の葉を渡る風は、静かに梢を揺らし、その葉を通して、空の雲を眺める。知らず知らずのうちに天気や季節の移ろいというものが、昔の人のように、自然と、分かってくる。来し方行く末を思い、空を仰ぎ見るようになると、又、人生、仕事とは別の視界、別の眺めが見えてくるようである。
徒然なるままに、雲の湧いては、流れゆく様を見つめ、
赤松の梢の葉先の陰影を愉しむ、
一枚の桜の葉は、早秋の魁を暗示する、
木の葉を渡る風は、来し方、行く末に、思いを馳せる。
徒然なるままに、雲の湧いては、流れゆく様を見つめ、
赤松の梢の葉先の陰影を愉しむ、
一枚の桜の葉は、早秋の魁を暗示する、
木の葉を渡る風は、来し方、行く末に、思いを馳せる。
こんなこともあるのだ!老犬を車に乗せて、扉を閉めた瞬間に、何やら、草むらの陰で、トンボが羽を摺り合わせるような音がするので、何事かと目を懲らしてみると、ニイニイ蝉が、交尾しているではないか?トンボの交尾は、見たことがあるが、蝉の交尾は、未だ、これまで、見たことがなかった。早速、携帯のカメラを取り出し、撮影しようとしたが、例によって、肝心なときに、シャッターが切れない。気ばかり焦って、そうこうするうちに、雄蝉の方は、更に、羽ばたきを強め、どこかへ、飛び去ろうとしている。必死に、被写体に、焦点を合わせて、シャッターを押すも、どうも、今一の出来であった。(デジカメなら、こういう時は、連写もあるが、、、、) とにかく、昨日のアブラ蝉の羽化の瞬間にせよ、今回の交尾にせよ、自然の営みは、我々の知らないところで、見えないところで、厳粛に、行われているのであろうと言うことを再認識させられた。貴重な体験であった。滅多に見られない千載一遇のチャンスに、恵まれたことに、感謝しようではないか!自然の神様、有り難うと、写真の左側にメス、右側で羽ばたいているのがオスです。一寸わかりにくいが、、、、、。